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首都圏に住むということ

首都圏に住むことで一番大変なのは住宅が貧困でかつ高いということだ。
ぼくは30何年か前の20代後半に偶然地方から東京本社勤務になったのだが、首都圏の住宅の貧困さと家賃の高さには驚いた。
作家の山口瞳も何かの本で「住宅には節を屈した」と書いてあったが、ぼくも本当に困った。
やっと40歳になって今住んでいる多摩ニュータウンの旧公団マンションを中古で購入したのだが、それでも60歳の退職時に住宅ローンの残金を払うために退職金の三分の一以上を当てなければならなかった。
現在はどうかというとそのあたりの事情はあまり変わっていないようで、相変わらず賃貸も購入も高いようだ。
首都圏といえども人口が減少し空き家が増加する中、まして福島第一原子力発電所の事故の影響が未だに続いている状況で住宅が値下がりしないのは、おそらく住宅業界内に「談合」的な価格カルテルが存在するのではないかとぼくは疑っている。
それはともかく、不幸(?)にも首都圏に住まなければならない人にぼくからアドバイスするとすれば、第一にURの賃貸マンション、第二にUR(旧住宅公団)の分譲マンション(中古)をお勧めする。その理由はURのマンションは価格の割に環境と建物の質が良いのだが、最初に賃貸を勧めるのはやはり福島第一原子力発電所の事故の収束が見えない中、万一の場合にすぐに逃げられるからだ。分譲マンションだとそういう場合にどうしてもフットワークが悪くなるし、万一住めなくなった場合にもローンだけは残るという最悪のケースも考えられるからだ。
住宅は昔と違って余っている。じっくり考えたほうがいい。

参考:URのホームページ→ UR

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原子力は末代までの禍根

ぼくは20世紀中頃に生まれ21世紀中頃までには確実に死ぬのだが、20世紀に発明された原子爆弾と原子力発電所もぼくと一緒に死んで欲しいと思っている。
なぜならば原子爆弾の非人道性についてはいうまでもないが、原子力発電所の事故や原子力発電所が生む高レベル放射性廃棄物の保管についてどうするのかについてまったく見通しがないからだ。
原子力発電所の事故は大きな問題だが、万一事故がなかったとしても高レベル放射性廃棄物をどうするのかという問題は子孫に大いなる負債を残すということを認識しなければならない。
なぜならば電力会社は原子力発電は安いと宣伝しているがあれは全くのウソなのだ。
電力会社の電気料金には高レベル放射性廃棄物の保管費用は一部しか入っていないそうだ(これは関係者から聞いた)。
まあ常識的に考えて高レベル放射性廃棄物を何万年も保管することは不可能だし、できたとしても天文学的費用がかかるだろう。
その費用は末代まで電気料金か税金で払わされることになるのだ。
原子力発電は子孫のためにも自分のために即刻廃止すべきなのである。
「子孫に美田を残さず」ではなく「子孫に放射能を残さず」なのだ。



他人を信奉してはいけない(2)

5月20日の拙ブログで「他人を信奉してはいけない」という拙ブログを書いたが、その中に本多勝一という人の名前も出した。
本多勝一の本は僕が学生時代の頃たくさん読んだ。エスキモーとか中近東に住む人たちのルポルタージュはとても面白く、ぼくは彼のファンになった。その後だったか同じ時期だったかは忘れたが、彼は南京大虐殺の本を中国現地での聞き取りだけで書いたのだが、これがいけなかった。その後他のジャーナリストが調査したところ、本多勝一はきちんと裏取りをしていなかったというのだ。もしそれが事実ならばジャーナリストとして失格だ。
ぼくも南京での日本兵による中国人殺害は確かにあったと思うのだが、20万人とかというオーダーでは決してないと思う。オーダーの点ではナチスによるユダヤ人殺害も同じだがそれについて書くといろいろと障碍がありそうなので止めておく。
とにかく、本多勝一は現地の中国人の話だけで「南京大虐殺」のルポルタージュを作り、ぼくも多くの日本人もそれを真実だと思わせたのだ。それは故意ではなくともある意味で犯罪(詐欺)行為だと思う。
ただ、本多勝一の著作の中で「日本語の作文技術」は白眉で文章を書く人には絶対にお勧めする。
前の記事で他人を信奉してはいけないと書いたが、具体例としてバートランド・ラッセルに引き続き、本多勝一をあげさせてもらった

本多勝一
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熱中症の話

今日は全国的に暑かったようで、ぼくの住む東京・多摩地域でも30度を超えた。
この季節に30度超えは人間もきついが猫もきついようだ。

夏バテ気味の我が家の飼い猫「マメ」


そこで、少しはどなたかの役に立てばよいと思い、熱中症(特にゴルフ時)の事についてぼくの体験を書くことにした。

(1)体験談
ぼくが初めて熱中症になったのは30代後半の頃だった。
ぼくは中学、高校、大学と体育系のクラブだったが、その頃は何より体力があったし、一般的にクーラーがなくて暑さには慣れていたので熱中症とは縁がなかった。
ところが会社員時代の30代後半の頃7月の猛暑の時期に箱根へ出張し、旅館で夜中の2~3時まで深酒して次の朝に大箱根カントリークラブでゴルフをした時のことだ。当日箱根は最高35度くらいになったと思う。当然その日は二日酔いなのだが、ラウンドするにつれて頭はボーッとしてくるし心拍数や呼吸数も早くなってきて、さすがにこれはやばいと思って午前中何とかハーフラウンドを終えたところでリタイヤした。その後は風呂で頭を思いっきり冷やし、涼しいところで静養するうちに夕方には回復した。
実は熱中症になったのはその時だけはでなく、その数年後伊豆の川奈ホテルゴルフコースでゴルフした時も症状はずっと軽かったが同じような経験をした。その時も軽い二日酔いで気温は36度だった。川奈ではキャディーさんに「昼休みにビールを飲んではだめですよ」とアドバイスを受けていたのに小ジョッキならいいだろうと飲んでしまった。するとてきめんに午後熱中症の軽い症状が出たのだ。

(2)結論
①猛暑の時期は二日酔い(睡眠不足)でのラウンドは自殺行為。絶対にやめましょう。
②猛暑の時期はラウンド中や昼休みに「ビール」を飲んではいけない(ビールには利尿作用が強く水分が体外に排出される)。どうしてもアルコールを飲みたいならレモンサワー系のものを。
③本当は①②よりも重要な事だと思うのだが、暑い時は暑さに慣れることが重要なのではないかとぼくは思う。
ぼくはサラリーマンの時代、夏は冷房の効いたオフィスにいることが多かったのだが、それによって発汗機能が衰えて熱中症になりやすい体質になったのではないかと疑っている。マスコミが言うようにこまめな給水、クーラーの使用だけでなく、積極的に汗をかく(例えば朝晩や休日にランニングやウオーキングをして積極的汗をにかく)ことが最も大切なのではないかと思う。
まあぼくは医者じゃないのであくまでも参考ということで、頭から信じないでくださいね。
主にゴルファー向けを念頭にアドバイスしたつもりだが、他のスポーツをする人も参考になればと思う。

FC2のトラブルが解消した

昨日、FC2のトラブル(画面表示で右側のプロフィールや過去記事が消えてしまう)について書いたばかりなのに、その後一本記事を書いて、さらに公開から外した過去記事「シャッター通り商店街」を再度公開したりしているうちに、あら不思議、トラブルが自然に解消してしまった。
ぼくは「情弱」なので何が起こったのかさっぱりわからないのだが、わかる方がいたら教えてください。

他人を信奉してはいけない

タイトルは実はなかなか難しい問題で、私たちの周りの人で、ある宗教家や思想家や哲学者を信奉したことで不幸な目にあった人は多いのではないかと思う。宗教家や思想家や哲学者は神様でも仏様でもない生身の人間なので当然のことなのだが、我々はついそういう人達は自分よりも崇高な人だと思いその言説を頭から信じてしまうことがある。
恥ずかしながら、ぼくの場合は大学生になってかぶれた「バートランド・ラッセル」というイギリスの哲学者だった。
それも動機が不純で、仏教系の新興宗教に入って行こうとしていたガールフレンドを、バートランド・ラッセルの思想である合理主義と宗教の不可知論(神はいるのかいないか、来世はあるのかないのかは認識できないという立場)で何とか取り戻したかっただけだ。当然、そういうあやふやな思想で宗教に勝つことはできず、ぼくは振られた(そんなぼくが、今は「正法眼蔵」を読んだりしているのだから皮肉なものだ)。
その後ぼくは神秘的な体験をしてバートランド・ラッセルの思想は完全に捨て去った。その後読んだ本ではラッセルという人がいかに女好きであったかとか、晩年にユダヤ系金融財閥に魂を売った(だからノーベル賞を受賞した)とか良い話はなかった。
その後、本多勝一とか最近では大田龍の著作はかなり読んで一時は信奉もした。ただやはり他人を尊敬するのは良いとしても、完全に信用するとか信奉するとか崇拝することは止めたほうがいい。完全な生身の人間などいないのだ。
要は自分自身を信用し、もし自分自身を信用できないならもっと修業せよということだと思う。

バートランド・ラッセル
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FC2のトラブルが発生した!

ここ数日間はFC2のトラブルがあって、更新できなかった。
画面右側にあるプロフィールとか過去記事等が突然表示されなくなったのだ。
FC2のトラブル担当者ともやりとりしたが、結局原因は分からずじまいっだった(FC2の方にはそれなりに親切に対応してくださったので、悪く言う気持ちは全くない)。
結局過去記事を2件( シャッター通り商店街(1)、(2) )を公開から外して正常に戻ったのだが、原因はいまだに分からない。
原因をご存知の方は教えてください。

司法関係者必見!桂米朝の落語2選。

ぼくがユーチューブで桂米朝さんの落語を聴いていることは4月9日のブログにも書いたが、今でもまだ聴いている。
何せありがたいことに米朝さんの落語はユーチューブにたくさんアップされているのだ。
今日聞いた二つの話はたまたまどちらも裁判の話で「鹿政談」は法律とは何か、「天狗裁き」は冤罪とは何かを考えされる話であった。とは言え、米朝さんの落語なのでどちらも爆笑ものだ。

(1)鹿政談

(2)天狗裁き


究極のヤキソバ

ゴールデンウイーク明けから近隣活動に忙しく、ブログを更新することができなかった。
ブログ・ランキングは正直なもので少しでも更新が滞るとあっという間に下がってしまう。別にランク上位を目指して書いているのではないが、ランキングが下がるとやはり気にかかるものだ。
ということで、今回はくだらないとは思いつつ雑ネタを。
ぼくは麺類が好きでご飯よりよく食べている。麺類はうどん、蕎麦、スパゲッティ、ラーメン、冷麺、ヤキソバ、何でも好きだ。
ただ、ぼくは香川県出身なのでうどんは基本的に郷里に帰った時にしか食べない。東京はやはり蕎麦だ。老舗で食べる蕎麦は格別だが、立ち食いそばこそ東京の文化だと思う。赤坂見附の会社に勤めていた頃は赤坂見附駅前の立ち食いそば屋「千成」に良く通ったものだ。ぼくのソウル・フードの一つだ。
ただ今回は立ち食いそばの話ではなく、うどんの話でもなく、ヤキソバの話(立ち食いそば、うどんの話はまた改めて)。
二胡の発表会の件については5月5日のブログに書いたのだが、その発表会の前に昼飯を食べたのが、立川駅構内(改札の中)にある「長田本庄軒 T-tee ecute 立川店」というヤキソバ専門店(ヤキソバ専門店というのも珍しい!)だ。
ぼくはそれまで過去に2回ほど行ってこんなに美味いヤキソバはないと思っていて、その時初めて連れあいと一緒したのだが彼女も美味いと言っていたし、第一その日も11時過ぎには行列ができていたので味は間違いないと思う。
ヤキソバには思い出があって昭和30年代後半頃、親父がぼくをよく近所のお好み焼き屋さんに連れて行ってくれ、ぼくは決まってヤキソバを注文したものだ。ぼくは当時(今でも?)お好み焼きよりもヤキソバが好きだった。
ただヤキソバには負のイメージもあって縁日等の露店商のヤキソバは冷えていたり肉が全くなかったり美味しいと思ったことは一度もない。
まあヤキソバはしょせんB級グルメではあるのだが、ちゃんと作ったヤキソバはめちゃ美味いと思う。

「長田本庄軒 T-tee ecute 立川店」の厨房 手前の人が一人で焼いているのだがそのテクニックは凄い!
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写真はイマイチだが味は最高!
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起きて半畳、寝て一畳

過去のブログで道元の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の現代語訳(増谷文雄 講談社学術文庫)を読んでいると書いたが、これが遅々として進まない。
1割くらいは何とか分かり、4割くらいは何となく分かったような気がするのだが、半分くらいは分からない。
まるで現代物理学の世界(こちらはもっと分かっていないのだがW)のようだ。
たしか全8巻だがまだ1巻目の半分くらいだ。果たして読破できるものかどうか自信がない。
それはともかく、最近,東京新聞に「起きて半畳、寝て一畳」というコラムが連載されていてこれがなかなか面白い。
東京新聞に50歳まで勤務した記者が退職し、おそらく生家のお寺を継ぐために僧侶の修行を始める話だ。
ちょうど今ぼくが読んでいる道元の開いた曹洞宗の僧侶の修行ということで僕の目に止まったわけだ。
今日はその4回目だが、1回目からはこちらで読むことができる⇒東京新聞(TOKYO Web)
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前のブログにも書いたが、トイレについては「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の中で1巻(洗浄)を費やして説かれているほどだから、大変重要なことなのだ。だからトイレ掃除も極めて重要な修行に違いない。
トイレの話ではないが道元の「典座教訓」という本に、道元が中国(宋)に留学して初めて会った現地の僧侶の話がある。その僧侶はお寺で台所の仕事をしている僧侶だった。
少し長くなるが、面白くかつ重要なので増谷文雄氏の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」から引用する。

道元禅師が「典座教訓」を書いたのは、嘉禎三年(1237)の春のことである。とすると、その文中の老典座との出会い(貞応二年、1223)を去ること足かけ15年のころのことである。それなのにその文中にみえる道元と老典座との会話は、まるで眼前に見るがごとき趣がある。おそらく道元禅師は、あの会話をそのままに憶えていたにちがいあるまいと思う。それほどその対話は道元禅師にとって印象深いものであったはずであるからである。
それは道元禅師を乗せた船が慶元府に着いて、その積み荷を売りさばくために、まだそのまま船泊りしている時のことであった。阿育王山(あいくおうさん)から椎茸を買いにきたという老いたる典座をとらえて、道元禅師は会話を始めた。しかるに、その会話はいささか食い違いを生じてきた。
「座尊年、なんぞ座禅弁道し、古人の話頭を看せずして、煩わしく典座に充てて只管に作務す。甚(なん)の好事か在る」
典座とは禅院の台所方を務める者の謂いである。道元禅師には、その典座がいい年をして、そんな仕事に一所懸命であるのが、どうも納得できなかった。なぜもっと禅をしたり、語録を読んだりしないのか。それが若い道元の詰問であった。すると相手は、可可大笑いしていった。
「外国の好人、未だ弁道を了得せず、未だ文字を知得せざることあり」
ずばりといえば、外国の若いお方は、まだ仏教が何か、お解りになっていないようですねということであった。その一句をわたしも忘れることができない。その一句を初めて読んだ時には、わたしは、あたかもわが腹中を指さして語られているような思いをしたのである。
老典座はまだ若い道元禅師に、あんたはまだ仏教がなにか解っていなさらぬようだといった。道元禅師は「はっ」として、「如何にあらんかこれ文字、如何にあらんかこれ弁道」と取りすがった。だが、老典座はそれには何も答えてくれなかった。
「若しを問処(もんじょ)を蹉過(しゃか)せずんば、豈(あに)その人に非ざらんや」
そこを躓(つまず)き転びながら、自分で突破してゆかねば、本物にはなれませぬわい、という意味のことばである。道元禅師はいうまでもなく、本物の仏教を知りたいと思って、海を越えていたったのである。だが、道元禅師にとって、仏教の本質把握という課題がはっきりと結晶したのは、その時であったと思われる。

この話は曹洞宗では有名な話のようだが、ぼくも実にいい話だと思った。
現代の資本主義社会では食事を作るとかトイレを掃除するとかは誰かが当たり前にやってくれるという風に考えるが、家庭では主婦(主夫?)、会社では給食会社や清掃会社のパートのおばちゃんたちが一生懸命やってくれているのだ。(余談だが、ぼくは50歳を過ぎたころから会社のトイレを一生懸命掃除してくれる清掃会社のおばちゃんを見て、ぼくもこのように見える形で社会に貢献したいと本気で思ったものだ。)
話を戻すと、道元が言いたかったことの重要な点は仏道修行は座禅をするだけではなく、食事を作ることや食べること、排泄することや掃除することなど生活全般に及ぶということなのだろう。
ぼくも今は定年退職して主夫をしているのだが、主夫業を修業と考えて、改めて一所懸命励みたいと思う。

二胡は難しい?

連れ合いが二胡を習い始めたのだが、彼女の先生の先生(大先生)が主宰する二胡教室の生徒さんたちの演奏発表会が今日あったのでお付き合いで一緒に行った。
会場はぼくの自宅から1時間ほどのH市というところだった。さすがに演奏会なのでそれなりに弾ける人が出てくると思いきやこれが予想に反してすごいのだ。
何がすごいかというと一応音はちゃんと出る(たぶん音がちゃんと出ない人は発表会に出してもらえない?)のだが、正しくメロディーが弾ける人が出演者(30~40人)の1割にも満たないのだ。
特に1部(1部、2部、3部があり合計3時間半の大発表会)に出演した謹厳実直そうな年配の紳士(映画「ライムライト」に出てきたバスター・キートンにそっくり)の調子っぱずれは凄まじく、ぼくはあまりに可笑しくて我慢できずに一旦ホールの外に出たほどだった。
誤解されると困るのだが、ぼくはこの演奏発表会を誹謗中傷する気持ちは微塵もなく、二胡という楽器はそれほどまでに難しいのだろうということを強調したかったのだ。
何せギターと違ってフレットがない(これはバイオリンも三味線も同じだが)ので音階は経験を積むしかなく、奏者に音感がなければいくら練習しても人に聞かせられる独奏を演奏するのはたぶん無理だろうと思う(そういう意味ではアカペラの歌と同じ)。
連れ合いも心が折れそうだと言うのでぼくは「3年間は我慢して練習!」と言ったものの、内心少し心配している。





シャッター通り商店街(2)

前回のブログでぼくが高校生の時にしばしば訪れた二つあった丸亀市街の商店街の一つはなくなり、もう一つもなくなりそうになっていることを書いた。

■商店街の歴史
商店街はスーパーマーケットが日本で誕生する昭和40年(1965年)頃まではおそらく全国各地にあって、それなりに賑わっていたのだろうと思う。ただ、ぼくは自分の記憶だけを頼りに下記のようなイメージを持っている。

(1)昭和40年(1965)代・・・日本全国でスーパーマーケットが誕生。中小商店街の没落の始まり。
(2)昭和50年(1975)代・・・中小企業のスーパーマーケットが淘汰の時代を迎え、地域の大手スーパーが栄える。小さな商店街が消え、地域の中商店街の元気も衰えを見せる。
(3昭和60年(1985)年)・・・地域大手スーパーも全国大手スーパーに押され始める。中商店街の店が減ってゆく。
(4)平成元年(1989)代・・・全国大手スーパー(とりわけダイエーの躍進)の時代。中商店街の輝きが消える。
(5)平成10年(1998)代・・・ダイエーの没落、ジャスコ、イトーヨーカドーの躍進。中商店街の生き残りが厳しくなる。
(6)平成20年(2008)代・・・ジャスコ(イオングループ)、イトーヨーカドーの時代。中商店街の没落が一層激しくなる。
(7)平成29年(2017)代・・・イオン、イトーヨーカドーといえども経営が厳しくなる。元気のある地域スーパー(例えば「きむらや」とか「ヤオコー」とか)が盛り返しているようにも見える。商店街は都道府県庁所在地の大商店街以外絶滅したか絶滅の危機に瀕している。

流通には全く素人なので、上記のイメージが正しいかどうかはわからないが、問題はかつての地域の中商店街である。
なぜぼくがかつての地域の商店街を問題視するかといえば、かつての中商店街は鉄道駅に隣接していて不動産価値がありながらその価値を利用していなくてモッタイナイと思うからだ。

■商店街の再生は可能か
では、商店街の復活は可能か?
ぼくは昔のような、単なるモノを売るお店の集まりとしての商店街の復活は不可能だろうと思う。
なぜならば
(A)地方都市の郊外にはイオン・モールのような駐車場完備の大型店があり大抵のものは揃う。アマゾンでも揃う。
(B)商店街の店主の高齢化と後継者不足
の二つは致命的だからだ。
しかし、昔の商店街の復活は不可能でも時代に合った商店街の再生の可能性はあると思う。商店街がダメになった上記(A)(B)の中にこそチャンスがあるのだ。
(A)については、大型店は車の運転ができる人しか行けないことが今後問題になることは間違いない。なぜなら高齢者化によって運転ができない人が確実に増えるからだ。その解決策として自治体はコミュニティ・バスを増やさざるを得ないが停留所の起点を商店街に置くのだ。そして、商店街でどのような商売をするかが最大の問題だが既述のように単なるモノではなく、サービスが中心になるのではないかと思われる。
(B)については、やる気がある若い人を商店街の店主として誘致するのだ。もちろん何をやるかは新しい店主が決める。誘致に際しては自治体が強力にバックアップする必要がある。

■結論
シャッター通り商店街についてぼくの思いついたことを書いてきたが、商店街の再生は商店街自身のやる気と自治体の強力なバックアップが絶対に必用だ。ただ、自治体のバックアップと言っても駐車場のような単なるハコモノではない。地方の商店街が衰退する第一の理由として「駐車場がない」という意見が一般的だが、ぼくはそれは絶対に違うと思う。商店街に魅力があれば人は公共交通機関や自転車や徒歩でも行く。
丸亀のシャッター通り商店街が新しく生まれ変わる姿をぜひ見たいものだ。

現状の丸亀「通町」
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シャッター通り商店街(1)

ぼくの故郷は香川県のまんのう町というところで、実家に母と兄が暮らしているので連休前に里帰りしてきた。
帰郷中にぼくが通っていた高校のある丸亀市街を2時間ほど散歩する機会があった。
改築された母校を見て、すぐそばの丸亀城に高校の時以来初めて登った。

ぼくが通った高校(丸亀高校)
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天守閣に行くためには最初に100m以上はある急坂を登らなければならない。
今回はゆっくり歩いても少しきついと思ったけれど、ぼくは高校時代は陸上部だったのでこの急坂をダッシュで何度も走ったものだ。高校生の頃というのはバカみたいに体力があるものだと思った。また若い時は気がつかなかったが、お城の上から見る中讃(香川県は昔讃岐国といった。東から東讃、中讃、西讃という)の景色はなかなかのものだった。

                    丸亀城正門                              急坂      讃岐富士(飯野山)    像頭山(大麻山)

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丸亀城を下りて、駅前の商店街を歩いた。
商店街は数年前にも少し歩いたことがあるが、今回はシャッターの降りた商店が一段と目立った。おそらく商店街の2/3はシャッターが閉じられていたと思う。
何よりも驚いたのは昔二つあったアーケードのある商店街「通町」と「富屋町」の一つ、「富屋町」が消滅していたことだ。
消滅といっても家はあるのだが、アーケードが撤去されて商店街ではなくなっていたのである。

  「通町」商店街     「通町」のシャッター店      露天になった「富屋町」
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丸亀市といえば香川県第2の都市(人口約10万人)であるが、商店街はこのとおりだ。
もちろん丸亀市の郊外には大型スーパーや大型専門店があってこちらはそこそこ賑わっている。
全国の地方商店街もおそらく似たり寄ったりではあるまいか。
次回は駅前にありながらシャッター通りになってしまった商店街について考えてみたい。






道元ネタ(2)

ぼくは前回のブログにも書いたように、道元の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の現代語訳を少しづつ読んでいるのだが、同時にユーチューブで「正法眼蔵随聞記(しょうぼうがんぞうずいもんき)」というのを聴いている。
「正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)」というのは、道元の弟子の懐奘(えじょう)という人が書いた本で、懐奘は道元が宋から帰国して日本で曹洞宗を立ち上げる時の腹心であったようだが、道元の身近な教えを記したものだ。
こちらは「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」よりもずっとわかりやすい。
道元は非常に厳しい人だったようで、若い時は弟子が座禅中に居眠りしようものならゲンコツで思いっきり殴ったらしい。道元が言うには自分が歳を取って思いっきり殴れなくなってから仏道が廃れてきたそうな。すごい人だ。



道元、カンゲキ!

NHKの番組に「100分de名著」という番組があって「道元」を特集していた回のものをユーチューブで見て面白かったので、道元の書いた「正法眼蔵」(「しょうぼうげんぞう」と読む。ぼくは「せいほうがんぞう」だと思っていた。「でんでん」を笑えない)を読んでみたいと思った。訳注付きの本はいろいろあったが、講談社学術文庫の「正法眼蔵 全訳注 増谷文雄」の一巻目を読んでいる。
それで、タイトル「道元、カンゲキ!」なのだが、ぼくが道元に感激したわけではなく、道元がウォシュレットを見たら感激するのではないかと思ったのだ。
なぜかというと、この本の1章(原著では1巻)は「魔訶般若波羅蜜(まかはんにゃはらみつ)」、第2章は「現成公案(げんじょうこうあん)」、3章は「一(果+頁)明珠(いっかみょうじゅ)」、4章は「即身是仏(そくしんぜぶつ)」と、とても深遠で高尚な仏法が説かれているのだが、5章「洗浄(せんじょう)」は驚くべきことにすべて大小便に関することだ。ソフトに言えばトイレ及びトイレの作法か。道元がなぜこの話だけに1巻を費やしたのかが道元の教えのキモだと思うがそれは置いておく。
ただこの章(巻)を読んで、道元がもしウォシュレットを見たら絶対に感激したのではないか、と勝手に想像したのだ。
実はこの時代のトイレやトイレの作法がまったく分からないので書いてあることもほとんど分からないのだが、とにかく道元が大小便を洗うことを口を酸っぱくして説いていることは確実なのでそう思ったのだ。
それにしても、ウォシュレットは20世紀最大の発明品の一つに違いない。







フレッシュマン(ウーマン)に贈る言葉(2)

ぼくは4月4日に「フレッシュマン(ウーマン)に贈る言葉」という題でブログを書いたが、内容はユーチューブ上のお釈迦様の言葉を紹介しただけであった。それではさすがに1年半前に定年退職した先輩としてはフレッシュマン(ウーマン)に申し訳ないかなと思い、自分の経験を交えてぼくの贈る言葉を書いてみる。お釈迦様とは雲泥の差なので、そこはご容赦を願いたい。

■仕事
(1)労働時間について
 電通の女性新入社員が月100時間以上残業させられて自殺してしまったという痛ましい事件が起こったのは最近の事だが、新入社員で残業時間が月に100時間を超えるというのはぼくが入社した頃(1979年)には考えられないことだ。ぼく自身は若い時は本社勤めで残業はほとんどなかったが、中年になって支店に左遷させられてからある入札案件の提案書作りで月100時超(土日休みなし)の残業を3カ月程度やった。 その時はぼくもベテランの部類なので適当に力を抜いてやっていたのだがそれでも心身共に疲れ果てた。提案書提出後に休暇を取って車で旅行した時、突然運転できなくなる体験もした。結局、その入札案件は価格で他のグループに敗れて入手できなかったのだが、後で考えてみるとプロジェクトのメンバーが全員過労のために正しい判断ができなかったのではないかと思っている。
とにかくどんなに忙しくとも、最低週に1度だけは休まなくてはいけないというのは肝に銘じて欲しい。さもないと確実に病気になる。
上司に週に1度も休めないような命令をされたならば、「自分はユダヤ教徒で戒律を破ることになる。あなたはユダヤ教会を敵に回すのか」と脅せばよい(笑)。

(2)勤務態度について
・ぼくは実行しなかったのだが(笑)、職場に出勤するのは最低就業規則の15分前、帰宅するのは(残業がなくとも)15分後くらいが適当だろうと思う。たかが30分のことで上から悪く見られるのは損だ。
・サラリーマン(公務員)なら上司に盾をついてはいけない。新入社員はなおさらだ(もっともぼくは定年前に確信的に上司に盾をついた。それは定年間近だったし上司が信じられないほどバカだったからだが)。どうしても上司が我慢できない場合、あなたが大きい会社に勤めているならば何か別の理由を考えて他部署への異動を希望すればいいし、小さな会社なら別の会社に再就職してもいい。

(3)お付き合いについて
・日本社会において適度にお付き合いすることは必用だと思う。

(4)自営業(フリーランス)という選択
自営業を目指すためにはその目標を最初から置いたとしても、やはり勤務経験が最低5年は必要だと思う。なのでサラリーマンで今の勤めが嫌なのですぐに独立したいと思っても、冷静に自分の実力を判断することが必用だ。フリーランス2年目で売上ゼロのぼくが言うのだから間違いない(笑)。
ただ、自営業で成功することは現代の社会の中で社畜にならないですむ唯一の手段であり、最高の幸福かもしれないと思うのでやる気がある人はぜひ頑張って目指して欲しいと思う。

今回、賃金については書かなかったがこれは大きい問題なのでいつか取りあげようと思う。
ただ、今言えるのは本当に価値のある仕事をしている人たちの賃金が不当に安く、何の価値もないかむしろ社会に害をなす仕事をしている人たちの賃金が不当に高い印象を持っている。
世の中、アベコベだ。  

■家計
(1)新聞は取るな、NHKは見るな
今の若い人はほとんどスマホを持っているだろうから新聞を取る必要もNHKと契約することも全く必要がないと断言する。
現代は新聞もテレビ(NHK)も真実を報道しないからだ。たとえば日経新聞が月5000円、NHKが衛星放送を合わせて2000円とするなら月7000円の節約だ。世の中の話題などスマホに送られてくるニュースで十分だ。

(2)電気は新電力と契約すべし
東京在住なら、東京電力から東京ガスに変えるだけで2~3割は安くなる。これは我が家の実績だ。原子力発電の廃止にも最も効果的だ。

(3)1日3食を止めること
ぼくは、朝は紅茶と豆乳ヨーグルトのみ、昼は前日の残り物かインスタンントラーメン(そば)等をごく軽く、夜は普通に食べているので、1日1.5食という感じだ。さすがにサラリーマンだとそれではおなかが減るかもしれないが、1日3食しっかり食べるというのは過剰でそれで肥らないほうがおかしい。しっかり朝食をとりましょうというのは売る側の言うことであって信用してはいけない(育ち盛りの子供は別だけどね)。それだけで食費も随分減る。

まあとりあえず今日はそんなところかな。

岩合光昭さんの「ねこ」写真展を観た

今日は連れ合いが「老眼鏡」を作りたいというので、「ZOFFメガネ」のある聖蹟桜ヶ丘の京王百貨店に行った。
そこでたまたま岩合光昭の写真展「ねこ」が開催されていたのである。岩合さんはNHK・BSの「世界ねこ歩き」を何度も見ていたのでよく知っている写真家だが写真展は行ったことがなかった。それが今日この百貨店での写真展の最終日ということだったので猫好きのぼくと連れ合いは躊躇なく入った。
これが面白かった。
やはり岩合さんは写真家なので、一瞬を切り取った猫の写真が素晴らしい!
岩合さんがなぜあれほど猫が好きなのかということもこの写真展でわかった。ここでバラすとネタバレになってしまうので書かないがとにかく心が温かくなる写真展だった。
今年も全国各地で写真展が開催されるようなので、猫好きには是非おすすめしたい。(⇀「ねこ」)

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祝!ガルシア メジャー初優勝

スペインのセルヒヨ・ガルシアがマスターズで優勝した。
ぼくは7時ごろから生中継でマスターズの中継放送を見ていたのだが、近年にない名勝負だった。
最もエキサイティングだったのは最終ホールだった。ガルシアとローズが同スコアで迎えた18番ホールは二人ともツーオンし、
遠いほうのローズがバーディーパットを外す。近いほうのガルシアはこれを入れれば優勝というパットを外す。
結局プレーオフではローズがティーショットをミスしボギーに終わるのに対し、ガルシアはツーオン・ワンパットのバーディーというおまけつきで優勝。
ぼくは十代から「神の子」と言われながら37歳の今日までメジャー未勝利のガルシアを応援していたので満足だったのだが、来年は終始紳士的にプレーしていたローズに是非優勝してもらいたいと思った。
松山君は再来年ね。

PS:ガルシアは37歳にして今年結婚するようだ。テレビにも出ていた婚約者はきっと「あげまん」に違いない。

笑う門には福来る

ぼくは毎日夕食を作る約3時間の中でNHKラジオの過去放送やユーチューブの小説の朗読を聴くことが楽しみだと過去のブログに書いた。
ただ最近はアッキード事件とか北朝鮮のミサイルとか、あげくの果てはトランプ政権のアメリカによるシリア攻撃とか、精神衛生上悪いことが続いていて滅入ることの多い日々だった。(花見は一時愁いを忘れさせてくれたが。)
そんな中で、ぼくの憂鬱な気持ちを一掃してくれたのが今日何となくユーチューブで聴いた桂米朝の落語だった。(実は桂米朝はぼくにとって最高の落語家でぼくは社会人2年目になけなしの小遣を払ってLPレコードの米朝全集を買った。当時でも10万円近くしたかなあ。)
現代のような笑いの少ない時代こそ米朝さんの落語を聞いて心の底から笑いましょう。







多摩の穴場花見スポット

僕の住む稲城市の市役所の裏手を流れる三沢川の両岸には桜並木が4~500m続き、今見ごろを迎えている。
多摩地区には桜の名所が多いが、ここがお勧めなのは花見客がほとんどいない(笑)からだ。
お店も露店もないのでお酒を飲みたければ自分で持参するしかないが、人がほとんどいないというのは気持ちが良いものだ。

昨夜撮影
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ぼくの散歩コースになっている稲城市総合グランドも結構桜がたくさんあるが、こちらはまだ木が少し若くてこれからだ。

昨日撮影
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お近くの方は一度見物に来ませんか?

フレッシュマン(ウーマン)に贈る言葉

初めて社会に出る人たちを励ましてあげたいと思うのだが、ぼくのようなものが何を言っても始まらないのでかのお釈迦様の言葉を紹介する。
実はぼくも今日初めて聞いた(笑)のだが「ダンマパダ」(ブッダの真理の言葉)はすばらしい。何がすばらしいというかというと、その素朴さがすばらしい。
釈迦は死後の輪廻転生や天国・地獄については何も語っていないという話を聞いていたのだが、全くそんなことはなく、悪いことをした人間は死後地獄に行き、善いことをした人は天国に行くと言っている。やっぱり原点に触れるというのは大切だ。
ただ注意してほしいのは、ぼくが「ダンマパダ」(ブッダの真理の言葉)の朗読を紹介するのは内容が良いからで、決して仏教を信心することを勧めているわけではなく、仏教系の旧団体、新団体とは何の関係もないことを強調しておく。



「吾輩は猫である」を聴破!

3月3日のブログ(主夫の友)に書いたように、ぼくは夏目漱石の「吾輩は猫である」をユーチューブの朗読で聞いていたのだが、約1か月かかってようやくすべてを聴き終えた。本をすべて読んだら読破なので朗読をすべて聞き終えたからタイトルに「聴破」としたのだが、辞書には載っていない。
それはともかく、ぼくは日曜日を除いてほぼ毎日1日に10回分約1時間程度聴いてきたのだが朗読は全部で224回あるのでだいたい勘定があっている。
それで「聴破」した感想はというと、日本を代表する文豪には誠に失礼なのだが、期待したほどではなかった。
夏目漱石のいくつかの他の作品は昔読んで感動した思い出があるし、この前朗読で聞いた「坊ちゃん」も面白かったのだが、今回初めて「聴いた」この作品はぼくには今一つピンとこないのだ。もちろん毎日聞く楽しみはあったのでそれなりに面白かったのは事実だが小説全体としてのまとまりというか主題がぼくには良くわからない。
どなたか「吾輩は猫である」の良さをご教授してくださいませんか。

ウソのようなホントの話

昨日はエイプリル・フールだったが、ぼくにも「ウソ!」という事態が起こった。
朝起きて朝食をとり、その後連れ合いを駅まで送るというのがぼくの毎日の日課で、その時は当然免許証と財布を必ず携帯するのだが、昨日は家を出るまで財布が見つからなかったのである。家に戻ってじっくり探せば必ず見つかるだろうと思い午前中ずっと家の中の思い当たる場所をすべて探した。ところが見つからないのである。まさにキツネにつままれたような心境だった。
一昨日も日課どおり連れ合いを駅まで送ったのでその時に財布を落した可能性もゼロではないと思い、一応交番に届を出し、クレジットカード会社や銀行に紛失を伝えた。そして昨日の夜には家人も協力してくれ、より広い範囲で財布の捜索が実施されたのだがやはり発見できなかった。
今朝はあきらめて、ほとんど家の外で落としたのだろうと思っていたところ、何げなく机の下にあるキャスター付きのデスク・ワゴンを移動してみると、なんとその下に財布を発見したのだ!

発見当時の財布(奥の黒いもの)
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実はこのデスク・ワゴンは昨日の午前中も移動してその下にはにないことを確認していた(後で考えると、デスクワゴンと床の隙間が財布の厚さとほぼ同じなので、デスクワゴンと一緒に財布も移動したとも考えられる)。
そもそも、机の下のさらにデスクワゴンの下に財布が入り込む可能性としては、一旦財布が床に落ちた上で前面か右面からデスクワゴンの下に滑り込ませる以外に方法はない。

普段のデスククワゴンの位置(机の上からは隙間がなく落ちる可能性はゼロ)
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そこでぼくは、推理した。

推理①ぼくが無意識に財布を床に落とし、さらに蹴とばしてキャスター付きデスクワゴンの下に入れた。

推理②ぼくが無意識に床に落とした財布、または誰かが床に落とした財布をさらに誰かが蹴とばしてキャスター付きデスクワゴンの下に入れた。

推理②の場合、「誰か」が問題になるのだが、一人(というか一匹)思い当たるのだ。

もうすぐ4歳になるオス猫の「マメ」
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家人は絶対に推理②はあり得ない、マメに罪を着せるなどあんまりだと言っているが、最近マメは夜明け近くになると一人で運動会をしているのでぼくは密かに疑っている。

まあ、大事な財布が出てきたのはラッキーだったとしてこれ以上詮索するのはよすことにしよう。


鴨長明になりたい(勝手になれば)

ユーチューブの動画をFC2に張り付けるテクニックを覚えたのでつい面白くてぼくのブログは過去2回連続でユーチューブだけという手抜きになってしまった。
その間、世間は森友学園の話題で盛り上がっているようだが、ぼくは何が起きているのか良くわからない。
アベシンゾーがアメリカの戦争屋を裏切ってトランプについたことへの(戦争屋の)復讐という説もあるようだが、そもそもアベシンゾーにそんな自覚があるとは思えない。
とにかくアベシンゾー政権も今年中には終焉を迎えそうだということは確かだ。
その後少しでも日本の社会が良くなることを期待したい。

それはともかく、今のぼくは鴨長明のような自由な心境になりたいと思って下のようなイラストを描いてみた。
でも実際は鴨長明も隠遁後本当に満足して方丈の庵で暮らしていていたのかどうかはわからない。
というのも「方丈記」には結構ジャーナリスト的観点からの批評も垣間見られるからだ。
だから「方丈記」は面白いのだろう。
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原作も貼っておく。
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なにわのアホぢから


カニサレス・「アランフェス協奏曲」の究極のギタリスト



鎌倉のレトロなカフェ・バー

3月11日、12日に「おとなの修学旅行」と称する高校の同級生の同窓会が鎌倉で開催され出席した。
鎌倉はこの両日も観光客だらけで盛況だった。
観光地を順番に紹介してもしようがないので、今回特に興味深かったスポットを紹介する。
「鎌倉キネマ堂」というカフェ・バーである。
昨年11月に今回の同窓会の幹事さんと下見に来た時に気になっていたお店だったのだがみんなで昼食を食べた後、時間があったのでぼくと友達2人の3人で入ることにした。

外観

メニュー
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入ってびっくり、キネマ堂というだけあって、昭和の日本映画のポスターやら本が壁を埋め尽くしていた。

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また店内では昭和の日本映画の主題歌が流れ、とてもいい雰囲気だ。

ウイスキーや焼酎のロックを飲む友人(当然ぼくも)
鎌倉キネマ堂
店のマスター


「鎌倉キネマ堂」のおかげでとてもゆったりとした時間を過ごすことができた。
営業時間は夕方までなので、行かれる方は調べた方がいい。⇀鎌倉キネマ堂

訂正とお詫び

3月3日にアップした「主夫の友」の記事に誤りがあった。
ユーチューブで朗読を聴くメリットの一つに
・意外と時間がかからないこと(例えば「吾輩は猫である」は200分あまり)
と書いたが、実際は200分ではなく200話(×1話だいたい6分)だったので1200分=20時間はかかることになる。
訂正してお詫びいたします。

主夫の友

ぼくの今のマイ・ブームはユーチューブで朗読を聞くことだ。
きっかけは以前のブログにも書いたが、料理を作る時、NHKのネットラジオ「らじる★らじる」の過去の放送の中の朗読で夏目漱石の「坊ちゃん」を聴いたことだ。
先月、花巻・盛岡を旅行した前後にはユーチューブで宮沢賢治の作品の朗読を探し、主要作品をほとんど聴いた。
今はユーチューブでまた夏目漱石の「吾輩は猫である」を聴いている。
ユーチューブで朗読を聴くことの長所はもちろん料理をしながら聴けることだが、その他に
・衰えた目を使わないで済むこと
・読み手が上手なので引き込まれること
・意外と時間がかからないこと(例えば「吾輩は猫である」は200分あまり)
・好きなところでスタート・ストップができること
・タダであること
である。
将来、朗読で現代語訳の「源氏物語」や「罪と罰」など本ではなかなか読めそうにない作品を聴いてみたいと思っている。

ぼくは料理を作ることが好きではあるけれども毎日となると億劫な日もあったが、朗読を聞くようになって料理の時間が楽しみになった。
主夫(主婦)の皆さまにはぜひお薦めしたい。



自家製ぬか漬は美味い!

前回自家製のぬか漬けを始めたことを書いた。今回はその後日談を。
結論から言うとかなり美味い。有名な居酒屋で出してくれるぬか漬け程度の味はする。
しかし昔実家で母が漬けていた理想のぬか漬けの味には及ばない。
理想の味に及ばない一つの原因は漬けてから食べる時間までが早すぎるのではないかと思っている。
美味しい漬物を作る秘訣は我慢かな?
大根ぬか漬け
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きゅうりとナスのぬか漬け

ぼくはぬか漬けを始めた

漬物、特にぬか漬けはぼくも家族も大好物なのだが買うとなるとけっこう高い。
僕の先輩にぬか漬けをしている人がいて前から勧めてくれていたこともあって、いずれ自分でぬか漬けをしようと思っていた。
アマゾンで調べてみると「樽の味」というお店があって「捨て漬け」という結構面倒くさい工程なしにいきなり野菜が漬けられるということで買ってみた。
これがいいのだ。昨日キット(ぬか床+タッパウエア)が到着したので、いきなりきゅうりを漬けて今日試食した。美味い。本来ならこれを写真に取っておくべきっだったのだが、あっという間に家族みんなで食べてしまったので写真はなし。
そこで今漬けている大根とニンジンの片鱗をアップした。
明日は大根を食べて、その後になすを漬け込んで、明後日にニンジンを食べて、その後何を漬け込もうかなと考えると楽しみが増えて楽しい。


マイ宮沢賢治ブームは続いています。

宮沢賢治の出身地・花巻とゆかりの地盛岡(ぼくの親父のゆかりの地でもある)を先週訪れたことは前回のブログに書いたが、ぼくの中で宮沢賢治ブームはまだ続いていて、今週は「土神と狐」「どんぐりと山猫」「グスコーブドリの伝記」を朗読で聞いた。
この中で僕が特にいいと思ったのは「土神と狐」だ。「見栄と嫉妬と怒りと暴力」がテーマだ。内容は本で読むか朗読で聞いていただくとして、実に現代の社会にもあてはまる問題の本質をとらえていると思う。というよりも「見栄と嫉妬と怒りと暴力」はいつの時代でもある人間の悲しい性なのかもしれない。宮沢賢治は「土神と狐」の中で実にそのあたりのことを巧みに描写している。
一番大事なことを忘れていた。見栄と嫉妬と怒りと暴力の最後に来たのが「悔恨」だった。

いざ盛岡(その前に花巻)へ(5-最終回-)

昨日の続き。
■盛岡
16時前に盛岡に着いた。まず盛岡が大都市であることに驚いた。地方都市の中でも指折だと思う。早速市内循環バスの「でんでんむし」に乗る。このバスは普通の大型バスでありながら盛岡市内の主要な場所を約40分で1周するバスで右回りと左回りがあり、日中は10分間隔、料金は1周してもわずか100円だ。ぼくは正直このバス・システムに感動した。このバスは観光客にも便利だが、むしろ地元の人の利用客が多いのではないかと思う。赤字か黒字かは知らないが、ともかくこのバス・システムはすべての地方自治体が一度は体験し実現可能性について検討してほしいと思う。ちなみに僕の住む東京都稲城市のコミュニティ・バス事情は盛岡の足元にも及ばないどころか全国的に見ても恥ずかしい状況にあるのではないかと思う。なにせ日中でさえ市立病院に行くバスが1時間に1本あるかないかの状況なのだ(ちなみに料金は170円)。
でんでんむし
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「でんでんむし」の話が長くなり過ぎた。今回のブログは
①岩手大学農学部
②盛岡城址付近
③盛岡三大麺と福田パン
について書くことにする。

①岩手大学農学部
岩手大学農学部の前身は盛岡高等農林学校で宮沢賢治やぼくの親父が卒業生であることは前のブログに書いた。
今回の旅行の主目的は親父が青春時代を過ごした盛岡高等農林学校跡を訪ねることだったので、盛岡市内散策の最初に訪れた。盛岡駅から北東にゆっくり歩いて30分程度で途中に有名な福田パン本店がある。最近の元国立大学(現在は独立行政法人)はどこもそうだと思うが、岩手大学もオープンキャンパスとして一般の人も自由に入れる。
旧盛岡高等農林学校正門
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旧盛岡高等農林学校正門を入ると整備された庭になっていて旧本館はすぐに見えた。
旧本館に続く道
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旧本館の前に立つと学生時代の親父や宮沢賢治が肩で風を切って通り過ぎて行くような不思議な感覚を覚えた。残念ながら休館日で中に入ることはできなかったが、往時のf雰囲気は十分に味わえた。
側面から見た旧本館(かなり大きな建物だということがわかる)
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②盛岡城址付近
盛岡城址に登ると盛岡市内が一望でき、また遠くに山々が見えて実に良い景色だ。
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城址の一角に石川啄木の詩碑があり「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」と刻んであって「不来方」の読み方も意味もわからなかったのだがさっき調べてやっとわかった。「不来方」(こずかた)は盛岡の旧地名だ。実は石川啄木が盛岡出身だったということも今回初めて知った。そんなことも知らなかったのかと読者に笑われそうで恥ずかしい。
石川啄木詩碑
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盛岡城址を降りるとすぐ近くに「もりおか歴史文化館」があり入ってみた。
1階は観光交流ゾーンで無料で入れる。ここの祭り常設展示室という部屋で「チャグチャグ馬コ」祭と「盛岡さんさ踊り」祭を大型ディスプレイで約5分ずつ紹介しているのだが、これが思いがけず素晴らしい出来で感動した。どちらの祭りも知らなかったのだがぜひ見てみたいものだ。2階は有料(一般300円)で南部藩の歴史やお宝を展示していてなかなか充実していた。
チャグチャグ馬コの等身大マネキン
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③盛岡三大麺と福田パン
ぼくは麺類が好きなので盛岡三大麺(冷麺、じゃじゃ麺、わんこそば)はすべて食べた。
冷麺は「ぴょんぴょん舎盛岡駅前店」という有名な韓国料理店で食べた。冷麺はもう30年も前に当時調布のつつじが丘駅前にあった「モランボン」という焼肉屋で食べたのが最初でそのおいしさに感激した。その後焼肉屋に行くとたまに冷麺を食べたのだが、最初にモランボンで食べた冷麺の味には及ばずもう二度とあの味に出会うことはないと思っていた。
ところが今回「ぴょんぴょん舎」であの冷麺の味に出会えたのである。うれしかったなあ。しかもこの日はサービスデーでなんと500円。感動した!
「ぴょんぴょん舎」の冷麺
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じゃじゃ麺はこれも有名な「白龍(パイロン)」で食べた。お店とじゃじゃ麺ファンには申し訳ないがぼくには行列に並んで食べるほど美味しいとは思えなかった。でも卵とスープがついて500円はリーズナブルだと思う。
わんこそばは「東屋盛岡駅前店」で食べた。わんこそばはずいぶん昔に東京の郷土料理店で食べた記憶があるのだがあまり覚えていないのと連れ合いが初めてだというので行った。結論から言うとぼくはもう二度とわんこそば屋には行かないだろう。
席についてお酒を頼み、お酒が来たと思ったらいきなり例の給仕が始まるのだ。ぼくはお嬢さんにちょっと待ってもらえないかと頼んだのだが口をつぐんで断固拒否の姿勢。やむなくスタートして約30分、55杯食べたところでストップ。お酒はまだ2合近く残っていたのだが満腹で飲む酒は不味い。そば自体は美味しかったと思うのだがゆっくり味わう暇がなかったのでよくわからない。わんこそばはあくまでそばを食べる料理であって、ぼくのような小食の大酒飲みには最も向いていないものなのだ。それと今回は普通のコースだが3,200円は少し高くないか。お嬢さんが1組の客につきっきりで給仕してくれるので仕方のない面もあるとは思うが。
それで思いついたのだが回転寿司ならぬ回転わんこそばというのはどうだろう。1杯定額の明朗会計にするのだ。誰かやってくれませんか。それならまた食べたい。
最後に福田パンについて。
ぼくのブログを見てくれた知人が「盛岡に行くなら福田パンによったらいいよ、福田パンは盛岡のソウル・フードだから」と教えてくれた。岩手大学の途中にあるので行きに寄って見ようかと思ったが行列ができていたのであきらめたのだが帰りに見ると行列がなかったので寄ってみることにした。ところが行列がなかったのは店の外で中は15人くらいの行列だった。特に用事があるわけでもないので気長に待つこと約15分、名物のあんバターと食パンをお土産に買った。
翌日、朝に食パン、昼にあんバターを食べたのだがこれは本当に美味しかった。単に美味しいだけでなく、遠い昔に食べた美味しいパンのようなとてもなつかしい味と香りがするのだ。不思議だなあ。
福田パン本店
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あんバター
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これで花巻、盛岡の旅行記はおしまい。

いざ盛岡(その前に花巻)へ(4)

花巻、盛岡へ行って来た。
2月11日の朝家を出て、新幹線で東京から新花巻に到着したのが昼過ぎ。観光タクシーで2時間ほど宮沢賢治ゆかりの地をめぐり、再度新花巻から新幹線に12分間乗って盛岡についたのが夕方4時前。その後市内循環バス「でんでんむし」に乗ってほぼ1周してホテルへ。翌日2月12日は午前中岩手大学農学部、午後盛岡城址周辺散策、18:40に盛岡を出発し、深夜帰宅という忙しいスケジュールだった。
感想を結論から言うと、花巻も盛岡も予想を超えて素晴らしかった。
旅行の詳細をグダグダ書いてもしようがないので、特に印象に残った点のみを簡潔に。

■花巻
宮沢賢治ゆかりの地の中でぼくのベスト3
①イギリス海岸
もちろん海岸ではなく、花巻を流れる北上川の一部の場所を宮沢賢治が名付けた所。
なぜ「イギリス海岸」なのか、好奇心のある方は各自で調べてみて。
北上川の美しさが堪能できる場所だ。

②「雨ニモマケズ」詩碑の場所
もともとは賢治が一人で自給自足生活をしていた(目指していた?)頃に住んでいた家(ここで短期ではあるが「羅須地人協会」と名乗って周辺の若い人の啓蒙活動をしていたので、今でもその家を「羅須地人協会」と呼んでいる)があった場所。
景色が素晴らしい。

③羅須地人協会
もともと②の場所にあった家を、花巻農業高校の敷地内に移築したもの。もともとは賢治の祖父が隠居して住んでいた家。
当時としては大変立派な家だったに違いない。ぼくは従来宮沢賢治=貧乏と勝手にイメージしていたので、今回調べてみて宮賢治の実家が花巻で並外れて裕福だったことを知って驚いた。当日は中に入れず残念だったが中の様子をガラス戸越しに見て往時の生活を想像した。


その他に「宮沢賢治記念館」はぜひ訪れたい場所だ。建物は立派だし、展示物もいい。特にぼくが感動したのは宮沢賢治のチェロの本物が展示されていたことだった。
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ようやく盛岡について書こうと思ったら、夕食を作る時間になってしまった。
続きはまた、明日。

いざ盛岡(その前に花巻)へ(3)

昨日は計画どおり夕食を作りながら2時間半余りにわたって「ユーチューブ」で岸田今日子朗読の「銀河鉄道の夜」を聴いた。
メインテーマはこの世とあの世の境界のような異次元の世界を走る列車に乗った主人公のジョバンニがいろいろな乗客と出会うという幻想的なファンタジーだが、祭りの夜の町の様子や列車の車窓を流れる風景を実に美しく繊細に表現していて、ぼくに植物や鉱物の知識があればもっとよく理解できたろうと思うと自分の無知が恥ずかしくなった。それにしても本だとたぶん途中で挫折していた可能性が大なのですばらしい朗読で全編を聴くことができて本当に良かった。
時間があったので「注文の多い料理店」も聴いてしまったので、今日は「セロ弾きのゴーシュ」にチャレンジする予定だ。
いよいよ明日から1泊2日で花巻、盛岡へ行く。
続きはまた来週。



いざ盛岡(その前に花巻)へ(2)

岩手県というと花巻、遠野が有名なので、せっかく盛岡に行くのだったらどちらかを観光しようと調べてみたら遠野は遠い上に電車が2時間に1本くらいしかなく今回は断念せざるを得なかった。そこで宮沢賢治で有名な花巻に寄ることにした。
実は今回調べるまでは花巻がどのへんにあるのかよく知らなかったのだが、盛岡の南約40kmに位置し、東北新幹線の新花巻から盛岡まではわずか12分だ。ぼくは宮沢賢治の事もほとんど知らなかったのだが、ウイキペディアで調べるとこれがびっくり盛岡高等農林学校の親父の大先輩だったのだ。もっとも宮沢賢治は農学科(のちに農芸化学科)、親父は獣医学科だが。そんなことで急に宮沢賢治に親近感を覚え、作品に触れてみたいと思った。ここで活躍するのが先日ブログで取り上げた「ユーチューブ」とBOSEスピーカーだ。昨日は夕食を作りながら市原悦子朗読の「風の又三郎」を聴いた。当時の素朴な小学校や小学生の雰囲気を伝えながらも幻想的な作品だった。今日は「銀河鉄道の夜」、明日は「注文の多い料理屋」を聴こうと思っている。楽しみだ。

宮沢賢治
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いざ盛岡(その前に花巻)へ(1)

連れ合いが所属する学会が盛岡で2月12日に開催されるということで、ぼくはついていくことにした。
別にぬれ落ち葉とか下駄の雪というわけではなく、盛岡はまだ一度も行ったことがなかったし、一度は行ってみたかった土地なのだ。
というのも、ぼくの親父(もう死んで30年以上になる)が青春時代を送ったのが盛岡だったからだ。ぼくの親父は大正11年(1922年)に四国の香川県まんのう町というところに生まれた(ぼくの出生地も同じ)。親父が生まれた頃生家は乳牛をたくさん飼っていて牛乳を製造販売していた。親父の親父(僕のおじいさん)は牛が病気になるごとに獣医にたくさんの治療費を払っていたことがよほどしゃくだったらしく、息子(僕の父)に獣医になれと命令したらしい。ぼくの親父は本当は文科系の方が好きで弁護士か公務員か教師になりたかったそうだが当時は家長の命令は絶対だったので旧制中学校を卒業後、盛岡高等農林学校の獣医科に入学した。無事卒業した後は当時の陸軍に就職し、いきなり将校(大尉)になって羽振りが良かったようだ。しかし敗戦を迎えて四国に帰省してからは過酷な人生を歩むことになる。
それはともかく、親父が青春時代を過ごした盛岡へは一度は行ってみたかったのだ。
親父からよく聞かされた話はとにかく冬は寒いということで、昔は日本のどこもぽっとん便所だったのだが、極寒地の盛岡ではウンコをするとそれがすぐ凍ってお尻のすぐ下まで盛り上がるので、そなえつけのハンマーでまず凍ったウンコを割ってから用を足すというすごい話だった。
今回たまたま冬の寒い時期に行くことになったのも親父の縁と思い、盛岡に出かけて行くことにしたわけである。

盛岡高等農林学校旧本館
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BOSEの小型スピーカーがすごい!

その名はSoundLink Mini Bluetooth speaker II と言う。
ぼくの現在の主な職業は主夫で、手のろいこともあって夕食作りには3時間くらいかかる。
その間何もないと退屈するので、テレビを観たり、ラジオを聴いたりしていた。そこでNHKのネットラジオの過去の放送を見つけてこれがなかなかいいので過去のブログにも書いた。
今のぼくのお気に入りは、「カルチャーラジオ芸術その魅力」の「バッハ一族とその音楽」だ。この番組では鍵盤奏者の武久源造という人が演奏付きでバッハの人となりを紹介してくれる素晴らしい番組だ。
ただ、ぼくがアイフォンに接続して使っていたスピーカーは3,000円くらいの安物で、もう一つパワーもないし音質も良くなかった。そこでぼくは意を決してBOSEのSoundLink Mini Bluetooth speaker II を買った。
実はこの製品は電気量販店で視聴してかなりいいとは思っていたのだが実際買ってみて聞いてみるとこれがすごい。実にコンパクトサイズなのだが高音、中音がクリアーな上に低音の迫力がドーンと伝わってくるのだ。
NHKのネットラジオも好きな番組はすぐに聞き終えてしまうので、どうしようかと考えていたのだがコンテンツの宝庫「ユーチューブ」があることを思い出し、さっそくクラシックを聴いてみた。これが最高!
今ぼくはベートーベンの交響曲を1番から順番に聴いている。この調子でクラシックを聴いていると、何年か後にはいっちょ前のクラシックかぶれが出来上がるかも、です。




思い出の映画⑩千と千尋の神隠し

成人の日(1/9)に柏に住む長男宅に生誕約6か月の初孫(女の子)に会いに行った。
肖像権の問題(笑)もあるのでここには公開できないけれど、ベイビーというのは一般的に可愛いが自分の孫となるとひとしお可愛い。長男のベイビー時代にそっくりな顔つきなので余計にそうなのだろう。
まあそんなことでブログの更新が遅くなってしまったが今日やっと「思い出の映画」シリーズ最終回(10回目)をアップすることができた。
「千と千尋の神隠し」の公開は9.11事件のあった2001年で、マンガにも描いたようにぼくにとっても転機になった年だった。
当時ぼくは大手ゼネコンの本社の購買部門の部署にいて順風満帆のサリーマン生活を送っていたのだが、2001年の2~3年前に就任した新社長とぼくの所属する部署長が部署の方針をめぐって対立し、結局、部署長以下管理職全員が左遷されるという事件があった。部署長が左遷されるのはいた仕方がないにしても、その部下全員を左遷するというのはどういうことなのかいまだにわからない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということか。
それはともかく転勤先は全く経験のない支店の建築営業ということで、何をすればいいの分からず、部下たちも迷惑だったろう。そんな中でも「地獄に仏」ということはあるもので、落ち込んでいたぼくを励ましてくれた先輩もいて今も親しくつきあっている。転勤半年後、その頃産声を上げていたPFIグループに所属して水を得た魚のようにコンペに没頭したが、その頃は苦しくとも充実した日々だったし、その頃の上司・同僚とも今もおつきあいをしている。建築営業のPFIグループでの仕事も3年くらいで終わりを迎え、その後土木の営業で10年余り過ごすことになるのだが、それはまた別の機会に。





明けましておめでとうございます。

我が良き友の皆さま
明けましておめでとうございます。
本年は、旧年にもましてますますパワーアップしていきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。

昨日は元日ということでいつも散歩の時にお参りしている近所の氏神様・竪神社を訪れるとこれが普段からするとびっくりの長蛇の列だった。


そして今日は連れ合いの職場の近くの国立市にある谷保天神へお参り。
2日ということでこの神社としてはそこそこの賑わい。
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なぜか谷保天神には野生の鶏がたくさんいる。今年は酉年なので注目されそうだ。
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おみくじを引く。すごい、今年は大吉だ!


谷保神社の境内の梅林の中にはすでに開花している木もあった!


今年が皆様にとって良い年になりますように!

思い出の映画⑨マトリックス

昨日、レイア姫のキャリー・フィッシャーさんが亡くなったことをブログに書いたのだが、キャリーさんの実の母親で往年の名女優デビー・レーノルズさんが翌日の27日に急死したということだ。ショックがよほど大きかったようだ。お二人のご冥福をお祈りします。
思い出の映画も宣言した10作にあと2作というところで滞ってしまい、今日やっとアップすることができた。9番目は初めて日本映画の「砂の器」にするか、今回の「マトリックス」にするか悩んだところなのだが、やはりぼくの人生に大きな影響を与えた「マトリックス」をとりあげた。「マトリックス」はマンガに描いたように、現代に置き換えれば公教育とマスコミに洗脳された世界に生きる我々と考えることができるし、もっとスピリチュアルに考えるとこの世(現世)そのものがマトリックスで真実はあの世なのかもしれない。そういう考え方はプラトンの時代からあるようだし、仏教の考え方もそうなのかもしれない。
それはともかく、この世に生きている以上この世に存在する支配者層の作るマトリックスなんぞの中で体よく騙され続けていきたいなどとはぼくは思わない。みなさんはいかがですか?
なお、そのあたりのことは今年の9月13日の拙ブログ「9.11と私」にも書いたので、ぜひ目を通していただきたい。


レイア姫逝く

前回ぼくのブログで「スターウォーズ」をとりあげ、レイア姫のこともマンガにも描いた。今日は午後に「スターウォーズ ローグ ワン」を観ようと予定していたところ新聞の朝刊でレイア姫役のキャリー・フィッシャーさんが60歳の若さで急逝されたことを知り驚いた。予定どおり午後には「スターウォーズ ローグ ワン」を観たのだが、ラストシーンで若きレイア姫がワンシーン出てきて思わず涙が出た。
レイア姫=キャリー・フィッシャーさんのご冥福をお祈りいたします。
東京新聞2016年12月29日朝刊

思い出の映画⑧スター・ウォーズ

「思い出の映画」シリーズもやっと8話まで来た。
10話まで書くと宣言したのであと2話だ。
それはともかく「スター・ウォーズ」が初めて日本で公開されたのが1978年で今年も続編が公開されるということなので「スター・ウォーズ」シリーズとして38年間続いていることになる(さらに続くようだが)。
これは「男はつらいよ」シリーズの26年間(1969~1995)をはるかにしのいでいてすごいことだ。
もっとも「男はつらいよ」は山田洋二監督と主演の渥美清、助演の倍賞千恵子等は不変だし、作品数も「男はつらいよ」シリーズの方が「スター・ウォーズ」シリーズの5倍以上なので比較するのは無意味かもしれない。
ともかく「スター・ウォーズ」シリーズがここまで長く支持されてきたというのは偉大なことだと思う。
マンガに描いたようにぼくと連れ合いは第1作から全作品を観てきたが、この年末か年始に最新作「スター・ウォーズ ローグ・ワン」ももちろん観に行くつもりだ。


思い出の映画⑦燃えよドラゴン

数ある映画の中で、ぼくの実生活に最も影響を与えたのがこの映画だった。
なにせ、2年半も(笑)少林寺拳法を修業したのだ。
結局、大学に入ってから付き合っていたガールフレンドに失恋してからすっかりやる気がなくなり、大学3年の夏休みで止めてしまった。少林寺拳法部の仲間には今でも申し訳ないと思う。
そんなわけで、この映画は良くも悪しくもぼくの青春映画ナンバー1だったと思う。
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NHKネットラジオらじる★らじるの「過去の放送」が面白い(PART3)

ぼくは11月4日と11月28日のブログに「NHKネットラジオらじる★らじるの「過去の放送」が面白い」という記事を書いて、「カルチャーラジオ文学の世界-鴨長明と方丈記~波乱の生涯を追う」と「カルチャーラジオ科学と人間-漱石、近代科学と出会う」をお勧めしたのだが、どちらも9回目で追いついてしまった。ほかに「過去の放送」で面白いのはないかと調べてみたら、あった。
「過去の放送」⇀「情報・カルチャー」⇀「朗読」である。
最初「夏目漱石 坊ちゃん」を聞いていたが、これもたちまち第20回で追いついたので今は「高見順の敗戦日記より」を聴いている。今ストリーミング中の「高見順の敗戦日記より」は終戦前の東京近辺の様子を作家の目で実に正確に描写していて、胸に迫るものがある。特に昭和20年3月10日の東京大空襲後に高見順が浅草を訪れた時の描写は鬼気迫るものだった。後に広島、長崎でこれよりよりもひどい惨状になることを思うとき、戦争は絶対に許してはならないと思う。

映画の思い出⑥ゴッド・ファーザー

更新に時間がかかってしまった。
久しぶりのゴルフのための練習とかゴルフとか。結果は散々だったが(笑)。
それを差し置いても時間がかかってしまったのは、高校の時好きな女の子に一緒に見に行こうと言って断られたエピソードだけでは4コマ漫画にはならないからだ。
というわけで、今回は苦し紛れで以下のようなマンガになった。
それにしても、うら若き乙女をよりによって「ゴッド・ファーザー」に誘うというのは若気の至りというかバカというか。もっとも「ロミオとジュリエット」でも断られたとは思うが。
それはさておき「ゴッド・ファーザー」を最初に見た時に世の中のしくみの秘密をかいまみたような気がしたが、その後社会に出て定年まで勤めあげた経験やら見分に照らすと、その秘密は決して絵空事でないどころか今でもほとんどそのまま真実に近いと思う。
世界は金と暴力に支配されているのだ。
まあ、その話はリンクにあげている多くの有力ブロガーにおまかせするとして、この映画を芸術にまで高めたのは家族愛や恋愛をコッポラ監督が繊細に美しく演出したことと、ニーノ・ロータの音楽によるところ大だと思う。


映画の思い出⑤禁じられた遊び

ルネ・クレマン監督の「禁じられた遊び」は日本での公開は1953年9月6日(ウィキペディア)というからぼくの生まれる2年以上前の作品だ。当然、ぼくはずっと後にテレビ放映でたぶん中学生の時に見た。
第2次世界大戦終了から数年しかたってない時代に、というかそういう時期だからこそ表現できた強烈な反戦映画だと思う。
ただ今思うと、ただの反戦映画でははなくて、少年と少女が小動物のお墓を作るというのがこの映画の重要なテーマの一つだったが、人間だけではなく生けとし生きるものの「いのち」の大切さをクレマン監督は伝えたかったのかもしれない。


NHKネットラジオらじる★らじるの「過去の放送」が面白い(PART2)

ぼくは11月4日に「NHKネットラジオらじる★らじるの「過去の放送」が面白い」という記事を書いて、「カルチャーラジオ文学の世界-鴨長明と方丈記~波乱の生涯を追う」と「カルチャーラジオ科学と人間-漱石、近代科学と出会う」をお薦めしたのだが、今日、両方とも8回目を夕食の準備をしている時にアイフォンで聞き、本当に面白いと思ったので再度紹介する。
偶然だと思うが「鴨長明・・・」では長明の少欲知足思想、「漱石・・・」ではイギリスの有名な科学者ファラデー、および漱石の少欲知足思想が紹介され、とても興味深かった。
鴨長明と夏目漱石とファラデーがこう繋がるとは思ってもみなかったが、ぼくも来年から年金生活者として死ぬまで生きなければならない身として自分なりの少欲知足を実践していきたいと思う。

※今、ASKAという元歌手が覚せい剤を使用していたとして逮捕されたという報道であふれている。そもそもASKAという歌手の事を知っている国民がどれほどいるのか。ぼくはほとんど知らない。こういうどうでもいい報道をNHK始め各社が一斉にやるということは本当に大切な事実を隠す時にやる常套手段だが、今度は何を隠そうとしているのかな。



思い出の映画④続・夕陽のガンマン

記憶というのは曖昧なもので、11月18日の拙ブログ「映画の思い出①ブリット」で最初に見た洋画は「ブリット」と書いたが、ウイキペディアの公開年月日を見ると明らかに「続・夕陽のガンマン」の方が早いのだ。
それはともかく、確かにこの映画を見て洋画の面白さに初めて目覚めたのだと思う。
とにかく「ブロンディ」役のクリント・イーストウッドが抜群にカッコいいのだ。
その後ぼくの憧れのスターはジェームス・ディーン、アラン・ドロン、ポールニューマン、ロバート・レッドフォード、ブルース・リーなどに移っていくのだが、その話はまた。


思い出の映画③道

イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの「道」を見たのはマンガのとおり中学生2~3年生っだった。
巨匠の作品だということは知らずに見たのだが、その時はそれなりに感動した思う。
ただ生意気にもジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナの演技は凄いと思ったが、ジェルソミーナ役としては少し年を取りすぎているのではないかと思った記憶がある。もちろん彼女でなければこの映画は成功しなかったとは思うが。
あと、敗戦後のイタリアが日本と同等かそれ以上に貧しいと感じたのはカルチャーショックだった。
それはともかく、年を取って観るほど涙腺が緩むのは名作のゆえか老化のせいかよくわからないが、今見たら号泣すると思うので当分見る気はない。フェデリコ・フェリーニ監督の作品で「道」と同じくらい好きな作品は「アマルコルド」だ。機会があればまた紹介したい。


プロフィール

YUKI

Author:YUKI
■性別:男
■年齢:後期中年
■趣味:ネット、ゴルフ、マンガ、映画、読書、外国語
■好きなもの:自由、睡眠、酒、タバコ、ネコ

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