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飯能新緑ツーデーマーチに参加した

飯能市在住の有力なブロガーであり、ぼくのブロ友でもある「亀さん」(人生は冥土までの暇潰し)の飯能新緑ツーデーマーチに仲間として参加しないかという呼びかけに応じて昨日参加してきた。
亀さんが掲示板(➝放知技)でも書いているように亀さんを含め、男性6名、女性2名の合計8名が8時半までに飯能駅北口の交番前に集まった。
その後の話については、てっきり亀さんがご自身のブログで紹介していただけるものと思っていたら、同じ掲示板「放知技」で、亀さんが「詳しくは、てくのぱぱさんが自身のブログで報告してくれると思いますので、お楽しみに…。」と書いてあったのでびっくり!というのも、ぼくは一昨日はゴルフ、昨日はツーデーマーチで主夫の仕事を休んでいたので今日は朝から家事に忙しく、「放知技」は夕食が終わってから見たのでさあ大変。でも考えてみると、亀さん自身が企画した「飯能新緑ツーデーマーチ」のレポートをぼくに書くように仕向けてくれたのは少しでもぼくのブログへの訪問者を増やしてあげようという親心と思い、がんばって今日中にアップしよう。
■5月27日(土)
・8:30   8名無事集合、スタート地点の飯能市役所へに向かう
・8:45頃  飯能市役所到着。参加手続き。初めてなので結構時間がかかる。
・9:15頃  10kmコース(他に5、15、20、30kmコースがある)の列に並ぶ。すごい人だ。飯能市長をはじめとする関係者のスピーチが続く。

人、人、人
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市長のあいさつ
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出発時の応援
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・10:00頃~11:00頃 ぼくはてっきり平地を10km歩くものとばかり思っていたのだが、どっこい、かなりの傾斜のある山道を歩くことになった。しかも当日朝までの大雨と多くの人が歩く影響で山道はドロドロ。なかなか厳しいウオーキングだ。
ドロドロの山道を歩く人たち
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参加者全員で「ハイ、チーズ」(赤い帽子をかぶったぼくの左の方が亀さん)
飯能ぼかし1

・11:30頃 山を下りて、やっと中間地点に到着。タダでふるまってくれたアイスキャンデーが美味かった。
・11:40頃~13:30頃 でもまだ半分?でもその後は平地のアスファルトの道路ばかりだったのでまあ何とか余裕をもって完歩。
・13:30~13:45 居酒屋を探すも満員だったり、営業時間が14:00からだったりでとにかくビールが飲みたいということで一次会は24時間営業の「磯丸水産 飯能北口店」に。ただこのお店は亀さんによるとあまり美味しくないということだったので1杯だけ飲むということで入店。
磯丸水産 飯能北口店
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・13:45~14:15 「磯丸水産 飯能北口店」でビールとお通しのみ飲食する。その間亀さんが近所の中華料理店を発見し予約してくれた。
・14:15~17:15 二次会は亀さんが見つけてくれた中華料理店「王記」。「王記」は8名のための個室を用意してくれた上に美味しいし安いし大感激!ただ中国人の店員はみんな声が馬鹿でかかったなあ。


王記
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・17:30~20:30? 三次会は最初に満員だった店「徳樹庵飯能店」に入ることができた。8名全員勢揃い。さすがに亀さんが最初に連れて行ってくれようとしたお店だけに料理も店員さんの接客もグッド!満足した。


徳樹庵飯能店
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というわけで、駆け足で亀さん主催の「飯能新緑ツーデーマーチを10kmだけ歩く会」を紹介したが、歩いている時間の倍の時間飲んでいました、という会になった。もちろんその間参加者同士で心ゆくまで会話を楽しんだことは言うまでもない。
亀さんは「日本があれば」来年も同様の企画をしてくれるそうなので、来年はさらに多くの方が参加されることを期待する。
亀さん、本当にありがとうございました。そして参加した皆様もありがとうございました。

完歩証
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司法関係者必見!桂米朝の落語(2)

5月16日にぼくは「司法関係者必見!桂米朝の落語2選」というブログを書いたが、今日も裁判物の傑作があったので紹介する。
もちろん司法関係者だけでなく、普通の人も爆笑するはずだ(司法関係者の方は笑えないかも)。
現代にこういう裁判官がいたらいいね。

帯久

首都圏に住むということ

首都圏に住むことで一番大変なのは住宅が貧困でかつ高いということだ。
ぼくは30何年か前の20代後半に偶然地方から東京本社勤務になったのだが、首都圏の住宅の貧困さと家賃の高さには驚いた。
作家の山口瞳も何かの本で「住宅には節を屈した」と書いてあったが、ぼくも本当に困った。
やっと40歳になって今住んでいる多摩ニュータウンの旧公団マンションを中古で購入したのだが、それでも60歳の退職時に住宅ローンの残金を払うために退職金の三分の一以上を当てなければならなかった。
現在も首都圏の住宅事情はあまり変わっていないようで、相変わらず借りるのも買うのも高いようだ。
首都圏といえども人口が減少し空き家が増加する中、まして福島第一原子力発電所の事故の影響が未だに続いている状況で住宅が値下がりしないのは、おそらく住宅業界内に「談合」的な価格カルテルが存在するのではないかとぼくは疑っている。
それはともかく、不幸(?)にも首都圏に住まなければならない人にぼくからアドバイスするとすれば、第一にURの賃貸マンション、第二にUR(旧住宅公団)の分譲マンション(中古)をお勧めする。その理由はURのマンションは価格の割に環境と建物の質が良いのだが、最初に賃貸を勧めるのはやはり福島第一原子力発電所の事故の収束が見えない中、万一の場合にすぐに逃げられるからだ。分譲マンションだとそういう場合にどうしてもフットワークが悪くなるし、万一住めなくなった場合にもローンだけは残るという最悪のケースも考えられるからだ。
住宅は昔と違って余っている。じっくり考えたほうがいい。

参考:URのホームページ→ UR

原子力は末代までの禍根

ぼくは20世紀中頃に生まれ21世紀中頃までには確実に死ぬのだが、20世紀に発明された原子爆弾と原子力発電所もぼくと一緒に死んで欲しいと思っている。
なぜならば原子爆弾の非人道性についてはいうまでもないが、原子力発電所の事故や原子力発電所が生む高レベル放射性廃棄物の保管についてどうするのかについてまったく見通しがないからだ。
原子力発電所の事故は大きな問題だが、万一事故がなかったとしても高レベル放射性廃棄物をどうするのかという問題は子孫に大いなる負債を残すということを認識しなければならない。
なぜならば電力会社は原子力発電は安いと宣伝しているがあれは全くのウソなのだ。
電力会社の電気料金には高レベル放射性廃棄物の保管費用は一部しか入っていないそうだ(これは関係者から聞いた)。
まあ常識的に考えて高レベル放射性廃棄物を何万年も保管することは不可能だし、できたとしても天文学的費用がかかるだろう。
その費用は末代まで電気料金か税金で払わされることになるのだ。
原子力発電は子孫のためにも自分のためにも即刻廃止すべきなのである。
「子孫に美田を残さず」ではなく「子孫に放射能を残さず」なのだ。



他人を信奉してはいけない(2)

5月20日の拙ブログで「他人を信奉してはいけない」という拙ブログを書いたが、その中に本多勝一という人の名前も出した。
本多勝一の本は僕が学生時代の頃たくさん読んだ。エスキモーとか中近東に住む人たちのルポルタージュはとても面白く、ぼくは彼のファンになった。その後だったか同じ時期だったかは忘れたが、彼は南京大虐殺の本を中国現地での聞き取りだけで書いたのだが、これがいけなかった。その後他のジャーナリストが調査したところ、本多勝一はきちんと裏取りをしていなかったというのだ。もしそれが事実ならばジャーナリストとして失格だ。
ぼくも南京での日本兵による中国人殺害は確かにあったと思うのだが、20万人とかというオーダーでは決してないと思う。オーダーの点ではナチスによるユダヤ人殺害も同じだがそれについて書くといろいろと障碍がありそうなので止めておく。
とにかく、本多勝一は現地の中国人の話だけで「南京大虐殺」のルポルタージュを書き、ぼくも多くの日本人もそれを真実だと思わせたのだ。それは故意ではなくともある意味で犯罪(詐欺)行為だと思う。
ただ、本多勝一の著作の中で「日本語の作文技術」は白眉で文章を書く人には絶対にお勧めする。
前の記事で他人を信奉してはいけないと書いたが、具体例としてバートランド・ラッセルに引き続き、本多勝一をあげさせてもらった。


本多勝一
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熱中症の話

今日は全国的に暑かったようで、ぼくの住む東京・多摩地域でも30度を超えた。
この季節に30度超えは人間もきついが猫もきついようだ。

夏バテ気味の我が家の飼い猫「マメ」


そこで、少しはどなたかの役に立てばよいと思い、熱中症(特にゴルフ時)の事についてぼくの体験を書くことにした。

(1)体験談
ぼくが初めて熱中症になったのは30代後半の頃だった。
ぼくは中学、高校、大学と体育系のクラブだったが、その頃は何より体力があったし、一般的にクーラーがなくて暑さには慣れていたので熱中症とは縁がなかった。
ところが会社員時代の30代後半の頃7月の猛暑の時期に箱根へ出張し、旅館で夜中の2~3時まで深酒して次の朝に大箱根カントリークラブでゴルフをした時のことだ。当日箱根は最高35度くらいになったと思う。当然その日は二日酔いなのだが、ラウンドするにつれて頭はボーッとしてくるし心拍数や呼吸数も早くなってきて、さすがにこれはやばいと思って午前中何とかハーフラウンドを終えたところでリタイヤした。その後は風呂で頭を思いっきり冷やし、涼しいところで静養するうちに夕方には回復した。
実は熱中症になったのはその時だけはでなく、その数年後伊豆の川奈ホテルゴルフコースでゴルフした時も症状はずっと軽かったが同じような経験をした。その時も軽い二日酔いで気温は36度だった。川奈ではキャディーさんに「昼休みにビールを飲んではだめですよ」とアドバイスを受けていたのに小ジョッキならいいだろうと飲んでしまった。するとてきめんに午後熱中症の軽い症状が出たのだ。

(2)結論
①猛暑の時期は二日酔い(睡眠不足)でのラウンドは自殺行為。絶対にやめましょう。
②猛暑の時期はラウンド中や昼休みに「ビール」を飲んではいけない(ビールには利尿作用が強く水分が体外に排出される)。どうしてもアルコールを飲みたいならレモンサワー系のものを。
③本当は①②よりも重要な事だと思うのだが、暑い時は暑さに慣れることが重要なのではないかとぼくは思う。
ぼくはサラリーマンの時代、夏は冷房の効いたオフィスにいることが多かったのだが、それによって発汗機能が衰えて熱中症になりやすい体質になったのではないかと疑っている。マスコミが言うようにこまめな給水、クーラーの使用だけでなく、積極的に汗をかく(例えば朝晩や休日にランニングやウオーキングをして積極的汗をにかく)ことが最も大切なのではないかと思う。
まあぼくは医者じゃないのであくまでも参考ということで、頭から信じないでくださいね。
主にゴルファー向けを念頭にアドバイスしたつもりだが、他のスポーツをする人も参考になればと思う。

FC2のトラブルが解消した

昨日、FC2のトラブル(画面表示で右側のプロフィールや過去記事が消えてしまう)について書いたばかりなのに、その後一本記事を書いて、さらに公開から外した過去記事「シャッター通り商店街」を再度公開したりしているうちに、あら不思議、トラブルが自然に解消してしまった。
ぼくは「情弱」なので何が起こったのかさっぱりわからないのだが、わかる方がいたら教えてください。

他人を信奉してはいけない

タイトルは実はなかなか難しい問題で、私たちの周りの人で、ある宗教家や思想家や哲学者を信奉したことで不幸な目にあった人は多いのではないかと思う。宗教家や思想家や哲学者は神様でも仏様でもない生身の人間なので当然のことなのだが、我々はついそういう人達は自分よりも崇高な人だと思いその言説を頭から信じてしまうことがある。
恥ずかしながら、ぼくの場合は大学生になってかぶれた「バートランド・ラッセル」というイギリスの哲学者だった。
それも動機が不純で、仏教系の新興宗教に入って行こうとしていたガールフレンドを、バートランド・ラッセルの思想である合理主義と宗教の不可知論(神はいるのかいないか、来世はあるのかないのかは認識できないという立場)で何とか取り戻したかっただけだ。当然、そういうあやふやな思想で宗教に勝つことはできず、ぼくは振られた(そんなぼくが、今は「正法眼蔵」を読んだりしているのだから皮肉なものだ)。
その後ぼくは神秘的な体験をしてバートランド・ラッセルの思想は完全に捨て去った。その後読んだ本ではラッセルという人がいかに女好きであったかとか、晩年にユダヤ系金融財閥に魂を売った(だからノーベル賞を受賞した)とか良い話はなかった。
その後、本多勝一とか最近では大田龍の著作はかなり読んで一時は信奉もした。ただやはり他人を尊敬するのは良いとしても、完全に信用するとか信奉するとか崇拝することは止めたほうがいい。完全な生身の人間などいないのだ。
要は自分自身を信用し、もし自分自身を信用できないならもっと修業せよということだと思う。

バートランド・ラッセル
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FC2のトラブルが発生した!

ここ数日間はFC2のトラブルがあって、更新できなかった。
画面右側にあるプロフィールとか過去記事等が突然表示されなくなったのだ。
FC2のトラブル担当者ともやりとりしたが、結局原因は分からずじまいっだった(FC2の方にはそれなりに親切に対応してくださったので、悪く言う気持ちは全くない)。
結局過去記事を2件( シャッター通り商店街(1)、(2) )を公開から外して正常に戻ったのだが、原因はいまだに分からない。
原因をご存知の方は教えてください。

司法関係者必見!桂米朝の落語2選。

ぼくがユーチューブで桂米朝さんの落語を聴いていることは4月9日のブログにも書いたが、今でもまだ聴いている。
何せありがたいことに米朝さんの落語はユーチューブにたくさんアップされているのだ。
今日聞いた二つの話はたまたまどちらも裁判の話で「鹿政談」は法律とは何か、「天狗裁き」は冤罪とは何かを考えされる話であった。とは言え、米朝さんの落語なのでどちらも爆笑ものだ。

(1)鹿政談

(2)天狗裁き


究極のヤキソバ

ゴールデンウイーク明けから近隣活動に忙しく、ブログを更新することができなかった。
ブログ・ランキングは正直なもので少しでも更新が滞るとあっという間に下がってしまう。別にランク上位を目指して書いているのではないが、ランキングが下がるとやはり気にかかるものだ。
ということで、今回はくだらないとは思いつつ雑ネタを。
ぼくは麺類が好きでご飯よりよく食べている。麺類はうどん、蕎麦、スパゲッティ、ラーメン、冷麺、ヤキソバ、何でも好きだ。
ただ、ぼくは香川県出身なのでうどんは基本的に郷里に帰った時にしか食べない。東京はやはり蕎麦だ。老舗で食べる蕎麦は格別だが、立ち食いそばこそ東京の文化だと思う。赤坂見附の会社に勤めていた頃は赤坂見附駅前の立ち食いそば屋「千成」に良く通ったものだ。ぼくのソウル・フードの一つだ。
ただ今回は立ち食いそばの話ではなく、うどんの話でもなく、ヤキソバの話(立ち食いそば、うどんの話はまた改めて)。
二胡の発表会の件については5月5日のブログに書いたのだが、その発表会の前に昼飯を食べたのが、立川駅構内(改札の中)にある「長田本庄軒 T-tee ecute 立川店」というヤキソバ専門店(ヤキソバ専門店というのも珍しい!)だ。
ぼくはそれまで過去に2回ほど行ってこんなに美味いヤキソバはないと思っていて、その時初めて連れあいと一緒したのだが彼女も美味いと言っていたし、第一その日も11時過ぎには行列ができていたので味は間違いないと思う。
ヤキソバには思い出があって昭和30年代後半頃、親父がぼくをよく近所のお好み焼き屋さんに連れて行ってくれ、ぼくは決まってヤキソバを注文したものだ。ぼくは当時(今でも?)お好み焼きよりもヤキソバが好きだった。
ただヤキソバには負のイメージもあって縁日等の露店商のヤキソバは冷えていたり肉が全くなかったり美味しいと思ったことは一度もない。
まあヤキソバはしょせんB級グルメではあるのだが、ちゃんと作ったヤキソバはめちゃ美味いと思う。

「長田本庄軒 T-tee ecute 立川店」の厨房 手前の人が一人で焼いているのだがそのテクニックは凄い!
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写真はイマイチだが味は最高!
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起きて半畳、寝て一畳

過去のブログで道元の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の現代語訳(増谷文雄 講談社学術文庫)を読んでいると書いたが、これが遅々として進まない。
1割くらいは何とか分かり、4割くらいは何となく分かったような気がするのだが、半分くらいは分からない。
まるで現代物理学の世界(こちらはもっと分かっていないのだがW)のようだ。
たしか全8巻だがまだ1巻目の半分くらいだ。果たして読破できるものかどうか自信がない。
それはともかく、最近,東京新聞に「起きて半畳、寝て一畳」というコラムが連載されていてこれがなかなか面白い。
東京新聞に50歳まで勤務した記者が退職し、おそらく生家のお寺を継ぐために僧侶の修行を始める話だ。
ちょうど今ぼくが読んでいる道元の開いた曹洞宗の僧侶の修行ということで僕の目に止まったわけだ。
今日はその4回目だが、1回目からはこちらで読むことができる⇒東京新聞(TOKYO Web)
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前のブログにも書いたが、トイレについては「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」の中で1巻(洗浄)を費やして説かれているほどだから、大変重要なことなのだ。だからトイレ掃除も極めて重要な修行に違いない。
トイレの話ではないが道元の「典座教訓」という本に、道元が中国(宋)に留学して初めて会った現地の僧侶の話がある。その僧侶はお寺で台所の仕事をしている僧侶だった。
少し長くなるが、面白くかつ重要なので増谷文雄氏の「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」から引用する。

道元禅師が「典座教訓」を書いたのは、嘉禎三年(1237)の春のことである。とすると、その文中の老典座との出会い(貞応二年、1223)を去ること足かけ15年のころのことである。それなのにその文中にみえる道元と老典座との会話は、まるで眼前に見るがごとき趣がある。おそらく道元禅師は、あの会話をそのままに憶えていたにちがいあるまいと思う。それほどその対話は道元禅師にとって印象深いものであったはずであるからである。
それは道元禅師を乗せた船が慶元府に着いて、その積み荷を売りさばくために、まだそのまま船泊りしている時のことであった。阿育王山(あいくおうさん)から椎茸を買いにきたという老いたる典座をとらえて、道元禅師は会話を始めた。しかるに、その会話はいささか食い違いを生じてきた。
「座尊年、なんぞ座禅弁道し、古人の話頭を看せずして、煩わしく典座に充てて只管に作務す。甚(なん)の好事か在る」
典座とは禅院の台所方を務める者の謂いである。道元禅師には、その典座がいい年をして、そんな仕事に一所懸命であるのが、どうも納得できなかった。なぜもっと禅をしたり、語録を読んだりしないのか。それが若い道元の詰問であった。すると相手は、可可大笑いしていった。
「外国の好人、未だ弁道を了得せず、未だ文字を知得せざることあり」
ずばりといえば、外国の若いお方は、まだ仏教が何か、お解りになっていないようですねということであった。その一句をわたしも忘れることができない。その一句を初めて読んだ時には、わたしは、あたかもわが腹中を指さして語られているような思いをしたのである。
老典座はまだ若い道元禅師に、あんたはまだ仏教がなにか解っていなさらぬようだといった。道元禅師は「はっ」として、「如何にあらんかこれ文字、如何にあらんかこれ弁道」と取りすがった。だが、老典座はそれには何も答えてくれなかった。
「若しを問処(もんじょ)を蹉過(しゃか)せずんば、豈(あに)その人に非ざらんや」
そこを躓(つまず)き転びながら、自分で突破してゆかねば、本物にはなれませぬわい、という意味のことばである。道元禅師はいうまでもなく、本物の仏教を知りたいと思って、海を越えていたったのである。だが、道元禅師にとって、仏教の本質把握という課題がはっきりと結晶したのは、その時であったと思われる。

この話は曹洞宗では有名な話のようだが、ぼくも実にいい話だと思った。
現代の資本主義社会では食事を作るとかトイレを掃除するとかは誰かが当たり前にやってくれるという風に考えるが、家庭では主婦(主夫?)、会社では給食会社や清掃会社のパートのおばちゃんたちが一生懸命やってくれているのだ。(余談だが、ぼくは50歳を過ぎたころから会社のトイレを一生懸命掃除してくれる清掃会社のおばちゃんを見て、ぼくもこのように見える形で社会に貢献したいと本気で思ったものだ。)
話を戻すと、道元が言いたかったことの重要な点は仏道修行は座禅をするだけではなく、食事を作ることや食べること、排泄することや掃除することなど生活全般に及ぶということなのだろう。
ぼくも今は定年退職して主夫をしているのだが、主夫業を修業と考えて、改めて一所懸命励みたいと思う。

二胡は難しい?

連れ合いが二胡を習い始めたのだが、彼女の先生の先生(大先生)が主宰する二胡教室の生徒さんたちの演奏発表会が今日あったのでお付き合いで一緒に行った。
会場はぼくの自宅から1時間ほどのH市というところだった。さすがに演奏会なのでそれなりに弾ける人が出てくると思いきやこれが予想に反してすごいのだ。
何がすごいかというと一応音はちゃんと出る(たぶん音がちゃんと出ない人は発表会に出してもらえない?)のだが、正しくメロディーが弾ける人が出演者(30~40人)の1割にも満たないのだ。
特に1部(1部、2部、3部があり合計3時間半の大発表会)に出演した謹厳実直そうな年配の紳士(映画「ライムライト」に出てきたバスター・キートンにそっくり)の調子っぱずれは凄まじく、ぼくはあまりに可笑しくて我慢できずに一旦ホールの外に出たほどだった。
誤解されると困るのだが、ぼくはこの演奏発表会を誹謗中傷する気持ちは微塵もなく、二胡という楽器はそれほどまでに難しいのだろうということを強調したかったのだ。
何せギターと違ってフレットがない(これはバイオリンも三味線も同じだが)ので音階は経験を積むしかなく、奏者に音感がなければいくら練習しても人に聞かせられる独奏を演奏するのはたぶん無理だろうと思う(そういう意味ではアカペラの歌と同じ)。
連れ合いも心が折れそうだと言うのでぼくは「3年間は我慢して練習!」と言ったものの、内心少し心配している。





シャッター通り商店街(2)

前回のブログでぼくが高校生の時にしばしば訪れた二つあった丸亀市街の商店街の一つはなくなり、もう一つもなくなりそうになっていることを書いた。

■商店街の歴史
商店街はスーパーマーケットが日本で誕生する昭和40年(1965年)頃まではおそらく全国各地にあって、それなりに賑わっていたのだろうと思う。ただ、ぼくは自分の記憶だけを頼りに下記のようなイメージを持っている。

(1)昭和40年(1965)代・・・日本全国でスーパーマーケットが誕生。中小商店街の没落の始まり。
(2)昭和50年(1975)代・・・中小企業のスーパーマーケットが淘汰の時代を迎え、地域の大手スーパーが栄える。小さな商店街が消え、地域の中商店街の元気も衰えを見せる。
(3昭和60年(1985)年)・・・地域大手スーパーも全国大手スーパーに押され始める。中商店街の店が減ってゆく。
(4)平成元年(1989)代・・・全国大手スーパー(とりわけダイエーの躍進)の時代。中商店街の輝きが消える。
(5)平成10年(1998)代・・・ダイエーの没落、ジャスコ、イトーヨーカドーの躍進。中商店街の生き残りが厳しくなる。
(6)平成20年(2008)代・・・ジャスコ(イオングループ)、イトーヨーカドーの時代。中商店街の没落が一層激しくなる。
(7)平成29年(2017)代・・・イオン、イトーヨーカドーといえども経営が厳しくなる。元気のある地域スーパー(例えば「きむらや」とか「ヤオコー」とか)が盛り返しているようにも見える。商店街は都道府県庁所在地の大商店街以外絶滅したか絶滅の危機に瀕している。

流通には全く素人なので、上記のイメージが正しいかどうかはわからないが、問題はかつての地域の中商店街である。
なぜぼくがかつての地域の商店街を問題視するかといえば、かつての中商店街は鉄道駅に隣接していて不動産価値がありながらその価値を利用していなくてモッタイナイと思うからだ。

■商店街の再生は可能か
では、商店街の復活は可能か?
ぼくは昔のような、単なるモノを売るお店の集まりとしての商店街の復活は不可能だろうと思う。
なぜならば
(A)地方都市の郊外にはイオン・モールのような駐車場完備の大型店があり大抵のものは揃う。アマゾンでも揃う。
(B)商店街の店主の高齢化と後継者不足
の二つは致命的だからだ。
しかし、昔の商店街の復活は不可能でも時代に合った商店街の再生の可能性はあると思う。商店街がダメになった上記(A)(B)の中にこそチャンスがあるのだ。
(A)については、大型店は車の運転ができる人しか行けないことが今後問題になることは間違いない。なぜなら高齢者化によって運転ができない人が確実に増えるからだ。その解決策として自治体はコミュニティ・バスを増やさざるを得ないが停留所の起点を商店街に置くのだ。そして、商店街でどのような商売をするかが最大の問題だが既述のように単なるモノではなく、サービスが中心になるのではないかと思われる。
(B)については、やる気がある若い人を商店街の店主として誘致するのだ。もちろん何をやるかは新しい店主が決める。誘致に際しては自治体が強力にバックアップする必要がある。

■結論
シャッター通り商店街についてぼくの思いついたことを書いてきたが、商店街の再生は商店街自身のやる気と自治体の強力なバックアップが絶対に必用だ。ただ、自治体のバックアップと言っても駐車場のような単なるハコモノではない。地方の商店街が衰退する第一の理由として「駐車場がない」という意見が一般的だが、ぼくはそれは絶対に違うと思う。商店街に魅力があれば人は公共交通機関や自転車や徒歩でも行く。
丸亀のシャッター通り商店街が新しく生まれ変わる姿をぜひ見たいものだ。

現状の丸亀「通町」
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シャッター通り商店街(1)

ぼくの故郷は香川県のまんのう町というところで、実家に母と兄が暮らしているので連休前に里帰りしてきた。
帰郷中にぼくが通っていた高校のある丸亀市街を2時間ほど散歩する機会があった。
改築された母校を見て、すぐそばの丸亀城に高校の時以来初めて登った。

ぼくが通った高校(丸亀高校)
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天守閣に行くためには最初に100m以上はある急坂を登らなければならない。
今回はゆっくり歩いても少しきついと思ったけれど、ぼくは高校時代は陸上部だったのでこの急坂をダッシュで何度も走ったものだ。高校生の頃というのはバカみたいに体力があるものだと思った。また若い時は気がつかなかったが、お城の上から見る中讃(香川県は昔讃岐国といった。東から東讃、中讃、西讃という)の景色はなかなかのものだった。

                    丸亀城正門                              急坂      讃岐富士(飯野山)    

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像頭山(大麻山)

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丸亀城を下りて、駅前の商店街を歩いた。
商店街は数年前にも少し歩いたことがあるが、今回はシャッターの降りた商店が一段と目立った。おそらく商店街の2/3はシャッターが閉じられていたと思う。
何よりも驚いたのは昔二つあったアーケードのある商店街「通町」と「富屋町」の一つ、「富屋町」が消滅していたことだ。
消滅といっても家はあるのだが、アーケードが撤去されて商店街ではなくなっていたのである。

  「通町」商店街     「通町」のシャッター店      露天になった「富屋町」
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丸亀市といえば香川県第2の都市(人口約10万人)であるが、商店街はこのとおりだ。
もちろん丸亀市の郊外には大型スーパーや大型専門店があってこちらはそこそこ賑わっている。
全国の地方商店街もおそらく似たり寄ったりではあるまいか。
次回は駅前にありながらシャッター通りになってしまった商店街について考えてみたい。