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「駅馬車」をやっと見た

ぼくの尊敬する映画評論家の双葉十三郎氏(1910~2009)が「外国映画ぼくの500本」(文春新書)で絶賛している「駅馬車」をやっと見ることができた。
見ようと思えばレンタルショップで借りればいつでも見れたのだが、ぼくがこれまで見なかったのはインディアン(アパッチ族のジェロニモ)が駅馬車などを襲うはずがないと思っていたからだ。果たして映画を見た後にウイキペディアで「ジェロニモ」について調べてみると家族を白人(メキシコ人)に虐殺されたのはジェロニモの方で、彼はその後不当な白人に抵抗しただけだ。白人は自分がやったインディアンへの残虐行為をあたかもインディアンが白人に対して行ったかのように宣伝してきたがそれが真逆であったことは近年明らかにされている。ぼくも高校生の時に見た映画「ソルジャー・ブルー」で薄々感じていたし、その後読んだ「アメリカ・インディアン悲史」(藤永茂・朝日選書)で確信した。
「駅馬車」がアメリカで公開されたのは1939年(日本公開は1940年)だから、その当時は野蛮で獰猛なアパッチ族のジェロニモが駅馬車を襲っても当たり前だという意識がアメリカ人にも若き双葉十三郎氏にもあったのだろう。しかしだ。双葉氏のようなインテリが戦後になっても白人とインディアンの関係を知らないはずがないし、まして「ソルジャー・ブルー」を見たなら「駅馬車」のそういうおかしな点に気づかないはずがないのだが、最後まで映画の最高傑作のひとつとして挙げているのには失望を禁じ得ない。
「駅馬車」は「映画」(エンーターテインメント)としては確かにとしてよくできている(冒険=インディアンとの戦いあり、決闘あり、恋あり、友情あり)とはぼくも思うが、だからといって全くデタラメの話を作ってインディアン(アパッチ族、ジェロニモ)の名誉を汚し、偏見を助長していいものでは断じてないと思うのだ。
結果的に双葉十三郎氏批判になってしまった。

駅馬車



ソルジャー・ブルー




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武田鉄矢の今朝の3枚おろし「福井モデル」について思うこと

北陸の福井、富山、石川県が元気だそうだ。
ぼくもちょっと意外だったのだが、武田鉄矢の「今日の3枚おろし」の「福井モデル」を聞いて納得した。

武田鉄矢の今日の3枚おろし「福井モデル」


実は、この番組は「福井モデル」といいながら、富山の話題で終始しているのだが、それがいい。
富山はとにかく街の中心に人を集める工夫をしていて、たとえば田舎からバスで富山市の中心街に来たなら、どんなに遠くても100円だそうだ。そのかわり中心街の手前で降りると、場合によっては何千円もするらしい。しかも花束を持っている人はタダにするというような工夫をしていて、富山市には東京から花屋さんが進出しているということだ。
富山市といえば最近大量の市会議員の不正が発覚した地ではあるが、市長はずいぶんなアイデアマンのようだ。

この話を聞きながらぼくは地方再生には交通網の整備が不可欠だと思った。
交通網は本来重要なインフラの一つだが、戦後国は一貫してモータリー・ゼーション一辺倒の政策を取ってきた。
その結果、国鉄はJRに分割され、民間鉄道・民間バス会社の多くは姿を消した。
で、今地方でどういうことになっているかというとかつての街の中心地はことごとく衰退し、そのかわり多くの住民は郊外のスーパーや専門店に車で買いに行く。しかし、今まではそれで何とかなっていたのだが急速に高齢化する地方はこのままでは成り立たない。なぜならば、あと10年もすれば住民が高齢化して車でスーパーマーケットに買い物に行けなくなるからだ。
そこで思うのはやはり公共交通網(バス)を充実していくことが最も重要だろうと思う。
地方自治体の取り組む課題は公共交通網をいかに充実させるかに尽きるし、その際、富山市方式のように強引に街の中心地に人を集めるというやり方は良いのではないかと思う。
とにかく街にの中心地に住民を集まりやすくすることはそこでの商業、公共サービス等を充実することに直結する。
特にぼくは飲んべえだから思うのだが、街の中心地に何件か飲み屋があって最終午後11時ごろまでに各地区に送ってくれるようなバスがあれば結構中心地の飲み屋は繁盛するのではないかと思う。
財源?
もちろん、無能な市議会議員、町議会議員を半減し、高すぎる職員の給料を大幅に下げ、箱物行政を止めることだ。





帰りなんいざ

ぼくは明日から四国の郷里(香川県まんのう町)に1週間ほど帰るのでその間ブログの更新ができないことをお断りしておきます。
田舎に帰るといつも思うのだが、立派な施設(例えば図書館や体育館)はできても交通網はほとんどない。
飲食街や娯楽施設もないが、これは交通網がないことに起因していると思う。
町の中心地から1時間に1本でも巡回バスがあれば、町の真ん中が賑わうのではないか。そんな事を考えたのが以前紹介した井口和基博士のブログ ( Kazumoto Igchi's blog2 )の「今朝の三枚おろし」の「福井モデル」だ。

福井モデル


とにかく、地域の活性化に交通網は不可欠だ。
次回はそこをもっと掘りさげていきたい。

爆笑!江戸落語(2)

今日も古今亭志ん朝さんの落語を聞きながら夕食を作っていたのだが、志ん朝さんの爆笑できる落語の2番目(爆笑!江戸落語 参照)に出会った。
それは「今戸の狐」という噺だ。まくらは博打の説明だがそこをよく聞いておけば、後半は爆笑の連続だ。

「今戸の狐」


おまけだが、古今亭志ん朝さんの「崇徳院」も聞いた。これももちろん面白いのだがやはり桂米朝さんにはかなわない。ただ、米朝さんの落語にはなかった「落ち」がちゃんとあるのだ。ぼくが仮説として書いた「江戸落語の方が落ちで笑わせる」(江戸落語と上方落語のちがい)というのはまんざら出鱈目ではなかったようだ。

「崇徳院」

テレビとぼく(9)番外編

テレビとぼくの関係については小学生時代くらいまでの思い出を本ブログに書いて( テレビとぼく(8)1964東京オリンピック )一応終えたつもりなのだが、それだけでは単なる思い出を書いただけではないかと思い返し、「番外編」ということで今のテレビとぼくの関係についてメモしておく。
今のぼくは、テレビをほとんど見ない。
それでもたまに見るのはお昼前のNHKの天気予報(とまれにそれに続く昼のニュース)、興味のあるプロゴルフトーナメント(女子が多い<笑>)、見たいと思う映画、連れ合いが好きなので一緒に見る唯一のドラマ「相棒」くらいか。それも天気予報以外は録画だ。テレビを見るのは平均週1~2時間くらいか。なので若いタレントや役者は全く分からない(笑)。
若い時はあれほど見たテレビをなぜ今は見なくなったのか自分なりに整理してみると
(1)テレビのドラマがつまらなくなった
(2)テレビのニュース(ノン・フィクションと謳っている番組も)が信じられなくなった
(3)テレビの前に定時に座ることがウザくなった
というところか。
もちろん老化による興味の低下もあるかもしれない。昔見たプロ野球や相撲はもちろんサッカーにも何の興味もない。
ぼくは、プロ野球や相撲やサッカーはローマ時代の統治手段である「パンとサーカス」の「サーカス」に過ぎないと思っている。最も現在の日本では「パン」も危ういところだが。もちろんゴルフ番組もサーカスだが自分が趣味でやっているのでこれはたまに見る。
それはともかくテレビのことを「電気洗脳箱」という人もいるが、ぼくもそう思っている。テレビに限らずラジオも大手の新聞もそうだ。少しマスコミのことを研究すれば新聞もラジオもテレビも権力者が民衆を洗脳するための道具として生まれたことが分かるし、今でも以前から比べれば信頼性に疑問を持たれつつもなおその役割を果たしている。
それはともかく、テレビに戻るとぼくはテレビはもうその役割を終えようとしていると思っている。もちろんテレビがすぐになくなることはないが、戦後テレビがラジオに替わって主役になったように早い時期にインターネットがテレビに替わって主役になることは確実だ。
インターネットも権力者が民衆を洗脳するための道具になるかどうかはわからない。


ピース・ボートは良いらしい

ぼくが会社にいた頃の先輩がご夫婦でピース・ボートで4月中旬から7月末まで北半球を1周して来たというので、今日居酒屋で先輩とぼくと共通の元上司の3人で一緒にみやげ話を聞いた。
結論から言うととても楽しかったらしく、来年以降のオセアニア1周とか南半球1周も予約されたようだ。
ずいぶんお金がかかりそうだが、ピースボートの場合、130~180万円/人くらいのようだし、お金の使い道など本人が決めればいいことなので、ぼくは先輩は良い趣味を見つけられたと思う。
それはさておき、ピース・ボートでは、その気があれば無料の英会話教室やヨガ教室や水彩画教室やその他一杯教室とかセミナーがあって退屈することはないそうだ。先輩は英会話教室・ヨガ教室・水彩画教室に毎回出席されたそうだが、短期間に上達したそうだ。特に先輩は会社時代にアメリカに結構長く駐在していたこともあって英語は堪能なはずだが、今回の教室で往年のように英語を日本語に変換しなくともストレートに理解できるようになったと話されていた。
そういうわけでぼく自身はピースボートに乗ることはないと思うのだが、船旅が苦痛でない若い人にはぜひお勧めしたい。失礼ながら70歳近い先輩も「いろいろな国を巡ってとても勉強になったしこれからの自分の人生に役立てていきたい」とおっしゃるのだ。
まして若者がそういう体験をしたなら日本の将来を変革する力になると思う。
若者には100万円くらいの費用で参加することができるコースもあるということなのでぜひ考えてみてはいかがか。

ピースボートのホームページ  ➝ ピースボート

ピースボートの公式ユーチューブ

残念!松山優勝ならず

今年最後のメジャー大会、全米プロ選手権最終日を録画しておいて今日の午前中から見た。
ぼくも日本のゴルフファンとともに、松山選手の優勝を祈りつつビデオに釘付けとなった。
結果は残念ながら5位。
敗因は全米プロ最終日を見た限りの感想だがやはり第一はパットか。優勝したジャスティン・トーマス選手に比べ、安定感がない。
松山選手のパットスタイルは全面的に変えたほうがいいのではないかと思う。なぜならパットの素振りを全くしないでいきなり打つのでどうしても緊張で体が硬くなる。また左足と右足の幅が広すぎるため、スムーズな肩回転ができないのではないか。
第二はバックスイングトップでの静止時間のバラつきだと思う。
バックススイングのトップで一瞬静止するのは松山選手の特徴だし、それはとても素晴らしいことだと思う。
最近ぼくが買った「ゴルフはインパクトの前後30センチ!」という本に、「スイングのスタートはバックススイングのトップの位置であって、バックスイングを始める位置ではない」という意味のことが書いてあって、ぼくはとても納得したのだが、松山選手ももちろん理解しているのだろうが、今日の後半は「バックススイングのトップで一瞬静止する」時間が同じクラブでもまちまちっだったような気がする。
特にドライバーで顕著で、バックスイングでのトップの位置での静止時間が早い時には大体フェアウエイを外していた。
そういうことで、松山選手がメジャー制覇する二つの条件は
1.パットで力まない
2.バックスイング・トップでの静止時間を一定にする
事だと思う。
以上、最近の平均スコア110のてくのぱぱから松山選手へのアドバイスでした(笑)。



上方落語と江戸落語の違い

タイトルは大袈裟だが、ぼくは上方落語は桂米朝さんと桂枝雀さんしか聞いたことがないし、江戸落語に至っては古今亭志ん朝さんの落語を今ほぼ毎日聞いているぐらいだ。なので、落語に詳しい人からすると、馬鹿なこと言うんじゃないと笑われるかもしれない。
それはともかく、現時点でのぼくの感想は上方落語の方が笑いを多く取る努力をしているような気がする。米朝さんも落語の中で言っていたが「昔の落語は笑うところが2~3か所あればいいほうでしたが、今は30秒に1回笑わせないと客が満足しはりません」と。
この場合の「笑う」ということは「爆笑」という意味だと思うが確かに上方落語は米朝さんの落語にしろ、枝雀さんの落語にしろ、多い頻度で「爆笑」を取る努力をしていると思う。関西人は退屈が嫌いなのだ。
ところが正統派江戸落語の古今亭志ん朝師匠の場合は上方落語に比べやや「爆笑」の頻度は少ないような気がするが「爆笑」は少ないものの、話術・ストーリーは江戸落語のほうが優れていて小さい笑いは絶やさないような工夫がされているように思う。
ただ決定的な違いは「落ち」は絶対江戸落語の方が優れていて最後に爆笑するのは江戸落語の方が多い。
途中何度でも笑いたい人は上方落語、最後に爆笑したい人は江戸落語というところか。
ぼくはどちらも好きだが。

「落ち」がすばらしい古今亭志ん朝師匠の「刀屋」


陶淵明を読む

ぼくは市立図書館で「正法眼蔵2」と「正法眼蔵随聞記」を借りていたのだが、予想通り借りる期間を延長(最大4週間)しても完読できなかった。この2冊はまた借りるつもりだが、図書館に返却しに行った時にたまたま「陶淵明全集(上)(下)」(岩波書店 松枝茂夫・和田武司訳注)を目にし、面白そうなので借りてきた。というのも、陶淵明全集(上)の表紙に次のようなキャッチフレーズがあったからだ。

陶淵明(365-427)といえば人は「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす」の一句を思いうかべ、酒を愛したのんきな田園詩人といったイメージを描くだろう。ところがどうして、そんなイメージをもってしては到底おおえぬ複雑な振幅の持主であることを何よりも作品が語っている。(松枝茂夫)

確かに、陶淵明という中国の詩人は酔っ払いで自然を愛した人というイメージしかぼくはにはなかったので、つい借りてしまったのだ。また4週間で読み切れるかなあ。
ところで「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」(友人が(珍しくも)遠方から訪ねてきてくれるのは、こんなうれしいことはない。)
というのも陶淵明の作だと思っていたが、これは「論語」の一節で「学而第一」にある言葉だそうだ。
ぼくはほんとに教養がないなあ。

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S学館新人賞に応募した結果

 ぼくは定年退職してから昔なりたかったマンガ家になろうと思って、S学館新人賞に3回挑戦(4コママンガ)した。
ところが、全然ダメで5段階評価でいうところの1を3回連続してもらった。
ぼくはS学館に対し全く恨む気持などないし、今の世間ではぼくのマンガなど全く通用しないことを思い知らされたのだが、今回の担当者のコメントには少しカチンときた。それはぼくの4コマ漫画でウイキペディアから引用した文章に対し「ウイキペディアの丸写しのようなページはいただけません。著作権も考えてください」とコメントがきたからだ。
評価が最低で、世に出ることもない作品に対して「著作権も考えてください」という頓珍漢なコメントを言う編集者というのは一体何なんだろう。出版の可能性があるのなら著作権の問題を考えるのは出版社ではないのか。そんなことは十分に知っていてオリジナル以外の解説ではウイキペディアを引用しているのだ。大体ウイキペディアに著作権というものがあるのか。
まあ、自分の実力はさし置いて出版社の批判をするようではまた次回も最低評価になりそうだが(笑)。

応募した作品
ブリット

 

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     思い出の映画⑨マトリックス
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そうだ、表紙を忘れていた。


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太ってはいけない

ぼくがほぼ毎日チェックしているブログに「ネットゲリラ」というのがあって昨日は「音楽映画特集」( ネットゲリラ「音楽映画特集」 )で「サウンド・オブ・ミュージック」を紹介していて、子役で出演していたアンジェラ・カートライトについて触れていた。彼女はテレビドラマの「宇宙家族ロビンソン」にも出演していて僕も大ファンだった。それでいま彼女はどうしているのだろうかとグーグルで調べたのだがそれがいけなかった。

サウンド・オブ・ミュージックの頃
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宇宙家族ロビンソンの頃
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たぶん近影
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武士の情け(笑)で近影の顔のアップ写真は載せなかったが、あまりの変わりようにすっかりがっかりした。
彼女は1952年生まれだそうだからもう65歳なので老けるのは仕方がないが、余計なお世話かもしれないがこんなに太らなくてもいいのではないかと思うのだ。
人間の性(さが)というのは悲しいもので、美味しいものを一杯食べたいという欲望は誰にでもあり、特にお金に不自由していない人はどうしても食べすぎるのかもしれないが、ぼくはお金に不自由しているので美味しいものを食べすぎることはない(笑)。
それはともかく、ぼくも会社に入ってから急に太ったことがあった。学生時代よりは金回りもいいし、飲む機会も多かったからだ。学生時代は大体60㎏だった体重が2年くらいで65㎏くらいまで増えこのままではまずいと思っていたところ、たまたま沖正弘という人の書いたヨガの本に遭遇した。沖正弘師は「粗食の小食」が重要と説いていた。ぼくは「粗食」とまではいかなかったが「小食」の方は実践し、ヨガも実行したところ、体重が減り始め62~63㎏くらいまで落ちた。ヨガの方はしばらくして止めたが、「小食」を続けているうちに胃袋が小さくなったのかたくさん食べられなくなった。
50台前半までは大体62~63㎏を維持していたが、50台中頃に馬鹿が上司になってからストレスのためかまた太りだし、一時は67㎏くらいまで太ってしまった。その頃たまたま連れ合いの腰痛がひどくなり、その改善のためぼくも一緒に市立体育館のジムに週に一度通い始めた。
あれから6年近くなるが連れ合いの腰痛も改善し、ぼくの体重も順調に減少し、2年前に定年退職してからは週に3回のウオーキングを始めたこともあって今は学生時代の60㎏に戻った。
定年退職してからは食生活も変わった。それまで朝食はトーストと紅茶だったがトーストを止め、自家製ヨーグルトと紅茶にした。また昼食は会社にいたころは仲間とよく社員食堂で食べたが、今は前日の残り物と茶碗半分くらいのご飯とかインスタントの麺類で済ませることが多い。夜は好きな物を自分で作って普通に食べるがご飯はほとんど食べない。その分酒は飲む(笑)。
とにかく食べ過ぎることが病気の原因にもなるし、スタイルも悪くなるし、いいことは全くないのだが、一日3食しっかり食べる人は間違いなく食べすぎだ。マスコミは一日3食しっかり食べましょうというがあれは広告主の食品会社に忖度(笑)してウソを垂れ流しているのだ。ただし、未成年は腹も減るしどれだけ食べてもいい。
とりあえず読みやすい下記の本を紹介するので、図書館で借りるかアマゾンで買うかしてぜひ読んでいただきたい。




名人とは何か

今日も夕ご飯を作りながらユーチューブを聞いていたら、シンクロする番組に偶然出会ったのでので忘れないうちにメモしておくことにする。
テーマは「名人」。
一つは「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」、一つは最近毎日聞いている古今亭志ん朝師匠の落語だ。
「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」というのはラジオの文化放送で1994年から続いているというからたいしたものだ。「武田鉄矢…」はぼくがほぼ毎日見ている井口和基博士のブログ(Kazumoto Iguchi`s blog2)で知った。井口博士は「反韓」「反中」思想が強すぎてぼくはそちらの方面には到底ついていけないのだが、専門の物理学ひいては科学には造詣が深いので参考になる。なお博士が尊敬する保江邦夫博士の本も面白いのでいずれ紹介したい。

武田鉄矢・今朝の三枚おろし「弓と禅」


古今亭志ん朝「宋珉の滝 」

「ティファニーで朝食を」はネコが準主役だった!

6月11日に「オードリー・ヘップバーン」について書いた(「オードリー・ヘップバーン」は…)が、あれから彼女の映画をやっと見ることができた。主夫は忙しいのだ(笑)。
映画の内容は金にしか興味のない娼婦と売れない作家のラブロマンスでラストはお約束のハッピーエンドに終わるのだが、オードリーが娼婦役とは思い切ったものだ。もちろん映画ではオードリーのイメージを損ねない演出になっている。
ぼくがこの映画で気に入ったのはオードリーが飼っているネコだ。茶色の太ったネコでたぶん雄ネコに違いない。映画の全編にわたって重要な場面で出てくるのだがラストで特に重要な役割を演じる。ネコ好きのぼくにとってはネコにとってもハッピーエンドだったのでとても嬉しかった。
それにしても、「ティファニー」の宣伝効果はいかばかりのものだったのだろう。

オープニング


ネコの出てくるワン・シーン

テレビとぼく(8)1964東京オリンピック

前回開催された東京オリンピックは1964年10月10日が開会式だから、ぼくは8歳で小学校2年生の時だ。
その日小学校は午前中までで「午後のオリンピックの開会式はみんなでテレビで見ましょう」いうことだったのでぼくもおとなしく家に帰ってをテレビを見た(後で調べるとこの日は土曜日だった)。
とにかく日本人全員が初めてオリンピックをテレビで見るということで、視聴率は高かったようだ。
ウイキペディアによると1964年の視聴率は下のようだ。

(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[5]
  1. 第15回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)72.0%
  2. 東京オリンピック・バレーボール女子決勝「日本対ソ連」(NHK総合、10月23日)66.8%
  3. 東京オリンピック・閉会式(NHK総合、10月24日 16:52-18:20)63.2%
  4. 東京オリンピック・開会式(NHK総合、10月10日 13:43-15:20)61.2%
  5. ニュース(NHK総合、12月31日 21:00-21:05)58.2%
  6. 赤穂浪士(NHK総合、11月29日)53.0%
  7. 東京オリンピック・第2日(NHK総合、10月11日 19:30-21:40)52.1%
  8. ニュース・天気予報(NHK総合、10月14日 21:40-21:58)48.4%
  9. 世界J・ウェルター級タイトルマッチ「エディ・パーキンス×高橋美徳」(TBS、1月4日)47.9%
  10. ニュース(NHK総合、10月24日 18:20-18:27)47.2%  


なんと、ベスト10にオリンピック関連の4番組が入っている。開会式も堂々4位だ。
開会式は自衛隊のジェット機が国立競技場上空の空に五輪を描いたことと、日本人選手団がくそ真面目に入場行進していたことを覚えている。

       開会式
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競技が始まってから印象的だったのは陸上競技の100mボブ・ヘイズ選手だった。速いの速いの、もしこの時のボブ・ヘイズが現代にタイムワープしてくれば、ウサイン・ボルトよりも速いのではないかと思う。

           ヘイズ選手
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陸上競技ではマラソンで円谷幸喜選手が最後に抜かれたものの、がんばって銅メダルを取ったのが感動的だった。円谷選手が次のメキシコ・オリンピックを前に「幸吉はもう走れません」という遺書を残して自決したことから彼は伝説になった。

       円谷選手
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東京オリンピックの日本人金メダル第1号は重量挙げの三宅義信選手で大いに沸いた。

        三宅選手
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逆に、金メダルが当たり前の柔道無差別級で日本の松永が外国人のアントン・へーシングに敗れ衝撃を与えた。今や相撲でさえ横綱はほとんど外国人という時代だが、当時は違っていたのだ。

へーシング選手
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しかし、なんといっても東京オリンピックの花として最高に人気があったのは体操女子のベラ・チャスラフスカ選手だった。男というのはスケベなものだ。

     チャスラスフカ選手
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そして、なんといっても東京オリンピックのメイン・イベントは女子バレーボール決勝戦「日本対ソ連」だった。
当時ソ連は共産主義国家の盟主である「敵性国家」であり、第2次大戦終戦直前に「満州・北方領土」に不可侵条約を破って進撃されたという記憶も生々しい。日本人全員が何としても東京で敵討ちしたいと熱くなっていたのは間違いないと思う。
ただ、今から思うと気の毒なのはソ連の選手たちだ。その頃の選手は「戦争を知らない子どもたち」だから自分たちには何の責任もない。ところがアウェイの東京での決勝相手が日本だ。どれだけやりにくかったことだろう。
それはともかく我が家でも家族5人全員が集まり、珍しく夕食を食べながら日本を応援した。そのあたりのことは2016年10月7日の本ブログ(食べ物の思い出④スパゲティ )に書いたのでご覧いただきたい。
記憶というものは曖昧なもので、ぼくはこの試合は接戦に次ぐ接戦でフルセットの末ようやく勝利をつかんだと思っていたが、今回調べてみると3セット連続でとって圧倒的勝利だったようだ。ただ3セット目に14対9のマッチポイントを握った場面からソ連の粘りが続き「テレビ放送にて決勝戦実況中継担当アナウンサーであった鈴木文彌が「金メダルポイント」のセリフを6度も繰り返すこととなった」(ウイキペディア)そうだ。それでぼくは接戦だったと思い込んでいたのだろう。

       東洋の魔女対ソ連
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「テレビとぼく」はとりあえず今回で終了。お付き合いしてくださった方に感謝いたします。








テレビとぼく(7)NHK大河ドラマ

本ブログの「テレビとぼく」シリーズは暑い最中、なんとなく昔のテレビ番組のことを書いてみようかなと思ったのが発端だったのだが、もう少しで終わる予定なので我慢しておつきあいください(笑)。というのも基本的には子供の頃(小学生まで)の思い出をメモしておきたいということが目的だったので。
NHKの大河ドラマを始めてみたのは「赤穂浪士」だった。
今から考えると凄い俳優陣で長谷川一夫、山田五十鈴、滝沢修、宇野重吉、中村加津男、志村僑を初め、当時のオールスターという陣容だった。ドラマの詳細はよく覚えていないが、討ち入りの回だけは記憶がある。このドラマは両親が熱心に見ていたのでぼくも熱心に見ていた(笑)。

赤穂浪士


翌年は「太閤記」でこれはさすがにもっと覚えている。秀吉役の緒形拳はもちろん、織田信長役の高橋幸治や明智光秀役の佐藤慶もいい味を出していたなあ。

太閤記


まあ、大河ドラマはこの後も見ることもあったが、この2作を超える作品はなかったと思う。

テレビとぼく(6)米国のドラマ

米国のドラマはかなり早い時期から放映されていて、「名犬ラッシー」、「ローンレンジャー」、「ボナンザ」、「ライフルマン」、「シャノン」等を見ていた(むろん細かいストーリーは理解できなかったが)。特に「シャノン」が乗っていた車がかっこよくて小学校に入ったころに「モーターファン」というクルマ専門雑誌の外車特集号をよく見ていて、その本に載っていた外車はすべて覚えた。
それはともかく、米国ドラマに夢中になったのはストーリーが理解できるようになってきた小学生以降で、特にお気に入りだったのは「コンバット!」だった。サンダース軍曹が持っていたマシンガンが欲しくて最初は親父だったか5歳上の兄だったかが木片で作ってくれたものを持ってほふく前進をしたりして遊んでいた。小学校3年生くらいの時に親父にそのマシンガンのプラモデルを買ってもらった時がぼくの今までの人生の中で最高のプレゼントだった。しかし夢はいつまでも続かず、使い方が荒かったせいもあって程なく壊れてしまったが今となってはなつかしい思い出だ。

コンバット!


「コンバット!」とともによく見たのが「逃亡者」だった。「逃亡者」は特に5歳上の兄がお気に入のドラマだったがぼくも家族と一緒に見た。主人公のキンブルを執拗に追跡するジェラルド警部は真犯人の片腕の男よりも悪い奴だと思った(笑)。それにしてもキンブルが逃亡先で必ず妙齢の美女と恋に落ちるのが子供心に不思議だった。

逃亡者


「0011ナポレオン・ソロ」を見ていたのはもう小学校の上級くらいになっていたから大いに楽しめた。ぼくはナポレオン・ソロよりも相棒のイリヤ・クリアキンのファンで彼が持っていたワルサーP38の改造銃が欲しくて(サンダース軍曹のマシンガンとおんなじ)通信販売で似たようなプラモデルを買って悦に入っていたのを思い出す。

0011ナポレオンソロ





テレビとぼく(5)和製アニメ

和製アニメでぼくが熱心に見たアニメは「ウイキペディア」によると、「鉄腕アトム」が(1963年から1966年にかけてフジテレビ系で日本で初めての国産テレビアニメとしてアニメ化された)とあり、「鉄人28号」が(1963年10月20日~1966年5月25日、フジテレビ系列で放送された)、「エイトマン」が(1963年11月8日から1964年12月31日までTBS系列局で放送に放映された)ということなので、ほぼ同じ時期に放映されていたことになる。ところがぼくの記憶では「鉄腕アトム」、「鉄人28号」、「エイトマン」という順番だったと思い、気になるところだ。
それはともかく、この3作品の中でぼくは「エイトマン」が圧倒的に好きだった。というのもエイトマンは変身ができて新幹線より早く走れる上にこぶしから高圧電流を放電するという決め技を持っている割に、すぐに疲れてタバコ(アニメでは「強化剤」と言っていたが)を吸わないと元気が出ないという設定が気に入ったからだ。
ぼくがタバコを吸うようになった原因はさかのぼればエイトマンにある(笑)。

鉄腕アトム


鉄人28号


エイトマン

テレビとぼく(4)米国アニメ

ぼくがアニメというものを始めて見たのは7月31日の本ブログ(テレビとぼく(2))に書いた「ディズニー・ランド」だったと思う。
3歳くらいの子供にはとにかくミッキーやドナルドがドタバタ動くだけで楽しかった。

ディズニー・アニメ
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その後「ポパイ」が放映され、これもよく見たなあ。おかげでほうれん草が好物になったのだが、アニメに出てくるほうれん草の缶詰だけはいまだに見たことがない。

ポパイ
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だいぶ物心がついてから放映された「トムとジェリー」も熱心に見ていたが、なんとかストーリーが理解できた。この頃になると和製アニメもだいぶ登場してきたような気がする。

トムとジェリー
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