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テレビとぼく(8)1964東京オリンピック

前回開催された東京オリンピックは1964年10月10日が開会式だから、ぼくは8歳で小学校2年生の時だ。
その日小学校は午前中までで「午後のオリンピックの開会式はみんなでテレビで見ましょう」いうことだったのでぼくもおとなしく家に帰ってをテレビを見た(後で調べるとこの日は土曜日だった)。
とにかく日本人全員が初めてオリンピックをテレビで見るということで、視聴率は高かったようだ。
ウイキペディアによると1964年の視聴率は下のようだ。

(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[5]
  1. 第15回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)72.0%
  2. 東京オリンピック・バレーボール女子決勝「日本対ソ連」(NHK総合、10月23日)66.8%
  3. 東京オリンピック・閉会式(NHK総合、10月24日 16:52-18:20)63.2%
  4. 東京オリンピック・開会式(NHK総合、10月10日 13:43-15:20)61.2%
  5. ニュース(NHK総合、12月31日 21:00-21:05)58.2%
  6. 赤穂浪士(NHK総合、11月29日)53.0%
  7. 東京オリンピック・第2日(NHK総合、10月11日 19:30-21:40)52.1%
  8. ニュース・天気予報(NHK総合、10月14日 21:40-21:58)48.4%
  9. 世界J・ウェルター級タイトルマッチ「エディ・パーキンス×高橋美徳」(TBS、1月4日)47.9%
  10. ニュース(NHK総合、10月24日 18:20-18:27)47.2%  


なんと、ベスト10にオリンピック関連の4番組が入っている。開会式も堂々4位だ。
開会式は自衛隊のジェット機が国立競技場上空の空に五輪を描いたことと、日本人選手団がくそ真面目に入場行進していたことを覚えている。

       開会式
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競技が始まってから印象的だったのは陸上競技の100mボブ・ヘイズ選手だった。速いの速いの、もしこの時のボブ・ヘイズが現代にタイムワープしてくれば、ウサイン・ボルトよりも速いのではないかと思う。

           ヘイズ選手
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陸上競技ではマラソンで円谷幸喜選手が最後に抜かれたものの、がんばって銅メダルを取ったのが感動的だった。円谷選手が次のメキシコ・オリンピックを前に「幸吉はもう走れません」という遺書を残して自決したことから彼は伝説になった。

       円谷選手
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東京オリンピックの日本人金メダル第1号は重量挙げの三宅義信選手で大いに沸いた。

        三宅選手
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逆に、金メダルが当たり前の柔道無差別級で日本の松永が外国人のアントン・へーシングに敗れ衝撃を与えた。今や相撲でさえ横綱はほとんど外国人という時代だが、当時は違っていたのだ。

へーシング選手
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しかし、なんといっても東京オリンピックの花として最高に人気があったのは体操女子のベラ・チャスラフスカ選手だった。男というのはスケベなものだ。

     チャスラスフカ選手
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そして、なんといっても東京オリンピックのメイン・イベントは女子バレーボール決勝戦「日本対ソ連」だった。
当時ソ連は共産主義国家の盟主である「敵性国家」であり、第2次大戦終戦直前に「満州・北方領土」に不可侵条約を破って進撃されたという記憶も生々しい。日本人全員が何としても東京で敵討ちしたいと熱くなっていたのは間違いないと思う。
ただ、今から思うと気の毒なのはソ連の選手たちだ。その頃の選手は「戦争を知らない子どもたち」だから自分たちには何の責任もない。ところがアウェイの東京での決勝相手が日本だ。どれだけやりにくかったことだろう。
それはともかく我が家でも家族5人全員が集まり、珍しく夕食を食べながら日本を応援した。そのあたりのことは2016年10月7日の本ブログ(食べ物の思い出④スパゲティ )に書いたのでご覧いただきたい。
記憶というものは曖昧なもので、ぼくはこの試合は接戦に次ぐ接戦でフルセットの末ようやく勝利をつかんだと思っていたが、今回調べてみると3セット連続でとって圧倒的勝利だったようだ。ただ3セット目に14対9のマッチポイントを握った場面からソ連の粘りが続き「テレビ放送にて決勝戦実況中継担当アナウンサーであった鈴木文彌が「金メダルポイント」のセリフを6度も繰り返すこととなった」(ウイキペディア)そうだ。それでぼくは接戦だったと思い込んでいたのだろう。

       東洋の魔女対ソ連
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「テレビとぼく」はとりあえず今回で終了。お付き合いしてくださった方に感謝いたします。








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