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島根旅行記~石見(いわみ)銀山はすばらしい!~

先月11月12日から14日まで2泊3日で島根県を訪れた。
実は6月に大学の同窓会が松江で開催されたのだが、ぼくは別の用件があり残念ながら出席できなかったところ、同窓会の幹事だった松江在住で島根県庁に勤務するDさんが「別の機会に一人でも家族とでも遊びにおいで」と言ってくれたのに甘えたのだ。
結局、島根にはぼく一人で旅行したのだが、Dさんには旅行の綿密な計画を立ててくれた上に、1日目、2日目とも松江のすばらしい居酒屋を案内してくれ、さらに3日目には石見銀山、出雲大社にも同行していただいた。Dさん本当にありがとうございました。
■1日目(堀川めぐりと松江城、宍道湖)
パック旅行(松江エクセルホテル東急2泊+往復航空券=約45,000円)だったためか羽田空港を7:10に出発する第1便しか取れず、朝早くて大変ではあったが、おかげで松江城近辺や夕陽が沈む宍道湖をゆっくり見ることができたので結果的に正解だった。
早い便だったおかげで10時前にホテルに荷物を預け、10時過ぎには松江駅北口から「ぐるっと松江レイクライン」という松江周遊観光バス(20~30分間隔で運行、1日券500円)に乗り、「堀川めぐり」の基点の「ふれあい広場乗船場」へ。「堀川めぐり」というのは小さな屋形船で松江城のお堀の周りを約50分で1周するというもので、船頭さんが案内(民謡も聞かせてくれる)をしてくれ、まことに風情のある観光名所だ。
「ぐるっと松江レイクライン」の美人運転手(顔が映っていなくて残念)
「ぐるっと松江レイクライン」の美人運転手(顔が映っていなくて残念)

ふれあい広場乗船場2
ふれあい広場乗船場

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乗船場から見たお堀

屋形船から見る松江城
屋形船から松江城を見る

「堀川めぐり」を終えると12時前だったので、すぐ近くの出雲そば屋「神代(かみよ)そば」に行く。店構えの良さに引けを足らないとてもおいしい出雲そばだった。そばそのものも薫り高くておいしいのだが、特にぼくが気に入ったのは出汁の効いた辛目のそばつゆがたっぷりついてきて、麺に多めにかけても十分つゆが残り、蕎麦湯がたっぷり楽しめたことだった。
結局、出雲そばは「神代そば」を含め4回食べたが、ぼくはここが一番気に入った。
神代そば
「神代そば」の店構え

「神代そば」の「割子(わりご)そば」
「神代そば」の「割子(わりご)そば」

出雲そばを食べ、冷酒をひっかけていい気分になったあとは観光コースの「小泉八雲記念館」「小泉八雲旧居」「武家屋敷」そして
今年国宝になった「松江城」を訪れた。どこも興味深い場所ではあったが本ブログでは長くなるので割愛する。
松江城から「ぐるっと松江レイクライン」で一旦ホテルに戻るともう4時近くになっていたので、夕陽が沈む美しい宍道湖を眺められる穴場という、Dさんが教えてくれた地元でも知る人ぞ知る「山陰合同銀行本店」の高層階へ向かう。4時半前に「山陰合同銀行本店」に到着すると受付嬢が丁寧に案内してくれ、高層階のロビーへ。日没10分前くらいのちょうど良い時刻にガラス張りの高級ロビーに到着し、夕陽が沈む宍道湖の情景を堪能した。
宍道湖に沈む夕陽

■2日目(美穂神社、美保関、足立美術館)
前日夜にDさんとその後輩2人の4人で地ビール、地酒をしこたま飲んだので二日酔いの朝だったが、三保関方面行きのバスは松江駅北口発9:50と決めていたのでなんとか乗ることができた。三保関に行こうと思ったのは三保神社に参拝したかったためだが、なぜ三保神社かといえば物理学者で合気道師範でもあるノートルダム清心女子大学教授の保江邦夫氏がここで新たなインスピレーションを得たと彼の著書(「神様につながった電話」風雲舎)に書いてあったからだ。保江邦夫氏の本はここ1~2年愛読していて、ぼくにとっては本当に面白い。最新刊の「神様に溺愛される人の法則-ついに、愛の宇宙方程式が解けました」(徳間書店)では神様を味方につける方法が具体的に書かれているので、関心のある方には是非お勧めする。




一畑バスで松江から三保ターミナルまで約45分、そこからコミュニティバスへ乗り換えて約30分、ようやく目指す三保神社入口に到着。降りた人間はぼくと若い女性の2名のみ。若い女性は三保神社が縁結びの神様でもあるので来たのだろう。三保神社のもう一つの顔は恵比寿神社の総本宮ということで、商売繁盛の神様でもある。バス停から歩くこと5分で三保神社境内に到着、お清めをして本殿へ。この日はたまたま神前結婚式が執り行われていたが、清々しい境内の中に立派な本殿が建ち、いかにも神様がおられそうな雰囲気であった。
神社の入り口付近には昔はたいそう栄えたであろう「青石畳通り」にレトロな木造家屋がひっそりと軒を並べていた。その中でもひときわ立派な建物は由緒ある旅館「三保館」の旧館で、さきほど行われていた神前結婚式の披露宴をここでやるらしい。
三保神社
三保神社

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青石畳通り

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三保館旧館の玄関から中を覗く

美保関はわずか1時間程度の滞在ではあったが、いまや希少になったレトロな日本を残す貴重なスポットであり、ぜひとも観光地として復活してもらいたいものである。
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美保関中心街

この日は美保関から松江に戻り、JRで安来まで行って足立美術館を鑑賞。足立美術館は有名だし、ぼくは日本画や陶芸についてはほとんど分からないので本ブログでの紹介は割愛。ただ、この美術館の庭園がアメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」に12年連続日本一の庭園に選ばれたと言われても何となく納得できなかった。そんな専門誌も知らないし、美術館の通路から見るだけでその中を歩けない庭というのはそれだけでぼくの評価としては低いからだ。
この日の夜は、Dさんの隠れ家的割烹居酒屋に連れていただき、前日の反省からお酒はお互い控えめに飲んだのだけど、東京では高級魚ゆえにめったに口にできない「のど黒」の刺身は美味しかったなあ。Dさんお奨めの地酒も大変美味しかったです。

■3日目(石見銀山、出雲大社)
いよいよ島根旅行の最終日となったが、今日(土曜日)はDさんも同行してくれるという。大変ありがたいことだった。8:00松江駅南口出発の石見銀山直行の「らとちゃんバス」にDさんと一緒に乗り込む。他には乗客2名(だったかな)。せっかく松江駅から石見銀山に土日祝日に直通運行している「らとちゃんバス」なのに、乗客が少なすぎる・・・というのは後からの感想であって、ぼく自身も実は石見銀山観光にはあまり期待していなかったのだ。世界遺産といっても山と鉱山跡のトンネルしかないだろと思っていたが、今回の旅行であんなにお世話になったDさんが行こうというのなら仕方がないか、といのがぼくの偽わらざる心境だった。ちなみに「らとちゃんバス」の「らとちゃん」は坑道を照らす照明に使った「螺灯」(らとう:サザエの殻に油を入れて火を灯した)からとった石見銀山のある太田市のマスコットキャラクターの名前。
さて、「らとちゃんバス」に乗って10分もすると右手(北)に宍道湖が広がる。朝もやに無数の野鳥が浮かびこの世のものとは思えない幻想的な風景だ。この時点で岩見銀山観光への懸念を払拭し、すっかりピクニックモードに。途中景色を眺めたり、Dさんと世間話をしたりしているうちに約2時間で目指す石見銀山の入り口であえる石見銀山公園に到着。おそらく世界遺産登録(2007年)後にさらに整備されたのであろう観光案内所兼お土産センターに行き、ガイドさんの申し込みをする。前のガイドさんの組が出発したところだったので、約30分待つことになったが、観光センターの別の棟に行くと、NHKの「その時歴史が動いた」の石見銀山特集をビデオで流していたので即席で学習。なかなかタメになったのだが、後でガイドさんに聞くと、その番組は間違いが多いとのこと。
いよいよ時間になり集合すると、ガイドさん一人がDさんとぼくを含め12~13名の観光客を約2時間程度かけて案内してくれるとのこと。銀山全体はひとつの大きな山なのでとても全体を見ることなど不可能で、ふもとの一部を散策し、ハイライトである実際の坑道跡を探検するというものである。
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ぼくたちのガイドを勤めてくれた石見銀山ガイドの会(TEL:0854-89-0120)の近藤さん

ガイドさんの最初の説明で驚いたのは、銀山の山に麓から頂上にかけて、全盛期には6千人が住んでいたという。(江戸時代にこの山で地すべり災害がおき、1000人以上の死者が出たという記録が高野山で発見されたということから、この数字は信憑性が高いと思われる)この中には銀山を管理する役人、山師、鉱夫、商人とその家族が含まれ一大コミュニティが形成されていたとのこと。さらに以外なのは、江戸時代、鉱夫の家族には手厚い福利厚生制度があったとのこと。それだけつらい労働だったという事かもしれないが、決していやがる鉱夫を無理やり奴隷のように働かせていたのではないということが伺われる。
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6000人が住んでいたという銀山。

途中、明治時代に開発したが、ほとんど算出されなかったという新しい鉱山施設などを見学しながら、この観光地のハイライトの実際に坑道を探検できる「龍源寺間歩」(りゅうげんじまぶ)へ。腰をかがめて入らなければならないほどの高さ(約1.5メートル)だが、ガイドさんから当時実際に掘っていたころはその半分くらいの高さだったことを教えてもらったり、螺灯の明かりがどれくらいかをLEDで再現(暗い!)してもらったりして、坑道を掘る仕事がどれだけ大変だったかの一端を実感することができた。
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龍源寺間歩の入り口

そういうことで、当初はあまり期待していなかった世界遺産の石見銀山だったが、ガイドさんの説明を聞きながら見学したことによって俄然興味深く、面白い観光地であることが分かり、自分の了見の狭さを痛感したのだった。
もし、このブログで石見銀山に興味を持っていただき、行ってみようと思われたのなら、是非ともガイド付きで見学されることを
強くお奨めする。
石見銀山ガイドツアーは当初予定の2時間を過ぎ、2時間半程度を要したが、観光センターで買った売れ残りのおすし弁当とビールでDさんと昼食を済まし、13:30発の出雲大社~石見銀山連絡バスに乗って一路出雲大社へ。このバスの乗客は我々2人だけで、貸切バスのようだった。約70分で出雲大社近くの県立博物館前にに到着、県立博物館は入らず、出雲大社本殿へ向かう。
本殿に到着し、お参りをした直後にはバケツをひっくり返したような雨になった。
今回の島根旅行の一番の目的は出雲大社にお参りすることだったが、それには理由がある。約40年前の学生時代に始めて出雲大社を訪れたとき時、ぼくは当時心酔していたイギリスの哲学者・バートランド・ラッセル(ずっと後に知ったことだが、この御仁は今も世界を混乱に陥れている国際金融寡頭勢力=ニュー・ワールド・オーダーの御用学者だったのだ。この話はディープなのでまた別の機会に)に倣って無神論者の合理主義者を気取っていて、出雲大社の境内には寄ったものの本殿に手も合わさずに立ち去ったところ、旅行の帰りに子供のころ患った喘息の発作に突如見舞われたのだった。それでいずれ機会があったら出雲大社の神様にお詫びのお参りをしたいと思っていたところ、今回の機会を得ることができたのだった。出雲大社・本殿近くの土砂降りも10分近くですぐに止み、次の目的地の出雲蕎麦屋にも無事に到着して「割子そば」にありつけたので、神様は40年ぶりに許してくれたのだと勝手に解釈したのだった。
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土砂降り直前の出雲大社本殿

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