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明日は首都圏も極寒なので注意!(2)

昨日、このタイトルで福島の葛尾村へ除染の仕事に行ったことを書いたら、思いがけず多くの人が見てくれたようなので、続編を書くことにする。
葛尾村での仕事はたいして空間放射線量も高くない(約2μシーベルト/h)美しい村だったし、作業場は6畳ほどの小さな仮設ハウスの中ではあったがストーブもあり、事務作業は楽だった。
ここで、ぼくが担当した事務作業のことを説明すると、全体の流れは除染地区から運ばれてくる俗にトン・パック(正式にはフレコン・パック)というあの黒い大きな袋を決められた集積所にきちんと保管することだ。
除染地区で収集されたトンパックには汚染物質の採取場所、内容物が袋にメモされており、集積所で重量と放射線量を計測してそれらのデータを用紙に記入し、最後にそのデータをパソコンに入力する(同時にICカードにも記録できる)という仕事でパソコンにデータを入力するのがぼくの仕事だった。
記録されたICカードはすべてのトン・パックに装着されることで一つ一つのトン・パックごとに由来が把握できるという仕組みだ。
(ちなみにそういう仕組みの大枠はできていたのだが、現場で実際にどういう手順で作業するかということは後から赴任したぼくがすべて計画し、実行した。本来の担当はJVを組んでいた某ゼネコンなのだがサボっていたのだ。)
葛尾村での任務を終えて次に行った勤務地は富岡町だった。
そこは線量が葛尾村の5倍(約10μシーベルト/h)ということでかなり緊張を強いられたし、線量が高いということで仮設ハウスも建てられず、車(バン)の中の荷物スペースに机といすを持ち込んでの作業となった。
狭い車中での作業はさすがにきつく、休みなしで約2週間(1日の現場での作業時間は5~6時間だが宿泊地から拠点事務所までが往復2時間、拠点事務所から現場事務所までが往復1時間、現場事務所から現場までが往復30分かかった。その他に拠点事務所での作業も2~3時間あった)勤務した時はさすがに疲れ果てた。ぼくが会社で37年間勤務した中で短期的には一番きつかったように思う。
そういうわけでぼくは富岡町に2012年の1月末頃から2月上旬まで勤務したが、いい思い出はあまりない。

蛇足ながら、この機会に除染事業に関する現在のぼくの考えをコメントしておきたい。
ぼくは現在、除染事業はほとんどムダだと思っている。なぜなら除染範囲が全体の汚染範囲にくらべて圧倒的に狭いからだ。
正確に確認したわけではないが面積で言って0.1%もないのではないか。そんなに狭い範囲を一時的に除染(本当は移染)したところで周囲から風が吹いたり、水が流れたりすれば元の木阿弥だ。
除染に何兆円かけたのか知らないが、その金を避難した人に直接渡せばそれで大部分の問題は片付いたのではないかと思われるのだ。
除染事業は当時東大教授だった児玉某が国会で熱弁をふるったことで始まったと記憶しているが、あれは教授の一世一代の大芝居ではなかったかと疑っている。

富岡町・夜ノ森公園でのぼくの職場(外観)
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富岡町・夜ノ森公園でのぼくの職場(内観・写っているのはぼくの同僚)
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富岡町での任務が終わり、ほっとした時のぼく(Vサイン)と同僚
ピース


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