FC2ブログ

大原美術館の謎(1)

ぼくにとって大原美術館の謎は、なぜ倉敷のような片田舎に世界的な印象派の絵画が多数あるのかということだったが、今回40年ぶりくらいに再訪し、納得がいった。

大原美術館の公式サイト(大原美術館)によると
「大原美術館は、倉敷を基盤に幅広く活躍した事業家大原孫三郎が、前年死去した画家児島虎次郎を記念して昭和5年に設立した、日本最初の西洋美術中心の私立美術館です。
日本美術のコレクターでもあった孫三郎は、親しい友人虎次郎の才能と、美術に対する真摯な姿勢を高く評価し、三度にわたる渡欧をうながします。虎次郎は、そこで制作に励むかたわら、孫三郎の同意のもと、日本人としての感覚を総動員してヨーロッパの美術作品を選び取るという作業に熱中します。
明治の気骨を持つ虎次郎の選択は、東洋の感覚と西洋美術の精華との真剣勝負でした。彼は、エル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティス等、今も大原美術館の中核をなす作品を丁寧に選び、倉敷にもたらします。」
とあって、これだけだと児島虎次郎は倉敷の大実業家・大原孫三郎をクライアントとする西洋画のバイヤーと誤解しがちだが、美術館にある説明をよく読むと、美術関係では虎次郎が孫三郎を説得して良い西洋美術品を日本に輸入したようだ。
それというのも、ぼくも40年ぶりくらいに大原美術館に行って初めて児島虎次郎の絵画をじっくりと鑑賞したのだが、彼は間違いなく日本の近代西洋画家のトップだと思う。しかも画風はルノアール風だが筆力はルノアールより上だ。なぜ、日本の美術史上でそれほど有名でないのかは謎だ。
それはともかく、それほどの超一流の画家である虎次郎が当時先見の明を持って購入(実際に金を払ったのは大原孫三郎だが)した美術品だからこそ、一地方実業家であった大原の下に、現在では天文学的価値のある印象派の絵画等を集めることができたのだろうと納得したわけだ。

和服を着たベルギーの少女(児島虎次郎)
蜈仙ウカ陌取ャ。驛酸convert_20181001004008
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント